市は中小企業対策に力を入れるとともに、大工場誘致を進めようとしていた。しかし、誘致の前提となる工業立地条件の整備は、市の力だけでは容易なことではなかった。
昭和二十五年(一九五〇)に、政府は国土の復興をはかるために国土総合開発法を制定し、全国総合開発計画・都道府県総合開発計画・地方総合開発計画・特定地域総合開発計画の四つの開発計画を進めることになった。特定地域総合開発計画は、資源開発の不十分な地域や災害防除の必要な地域が対象となっており、戦後復興の重要な時だけに、四つの計画の中でもとくに脚光を浴びて重点的に推進されることになっていた。
そこで愛知県では、国土総合開発法の公布にともない、愛知県総合開発審議会を設置し、昭和二十六年五月、豊川農業水利事業を柱に特定地域の指定を受けようと「東三河総合開発事業計画書」を建設省に提出した。一方、静岡県は食糧問題を解決するため、天竜川地域の特定地域指定を建設省に申請した。さらに、長野県も天竜川上流の上諏訪地域の開発をまとめ、この年、建設省に対し上諏訪(かみすわ)特定地域指定を申請した。
愛知・静岡・長野三県からの特定地域指定申請に対し、建設省は相互に関連が深いため三地域を統合して調査を加え、「天竜東三河特定地域」の案としてまとめた。昭和二十六年十二月、政府は一九の特定地域を指定したが、そのうちの一つに、天竜東三河特定地域が含まれていた。三県では、翌年の一月に天竜東三河地域地方総合開発審議会を発足させ、特定地域の計画づくりをおこなうことにした。
ここでは、国土保全、電源開発、農産資源開発、林産資源開発、工業立地の条件整備など総合的な利用と発展を求め、国土の改造・開発をはかりながら、産業を発展させることに重点が置かれた。
そこで、この総合開発計画の重点事業として、豊川農業水利事業・佐久間発電所建設・豊川放水路開削(かいさく)などが取り上げられ、審議会で検討された。この計画に基づいて、佐久間ダムは昭和三十一年に、豊川放水路は四十年に、豊川用水路は四十三年にそれぞれ完成した。東三河の農業は水の確保により農業先進地域へと大きく変容していくことになる。また、東三河の工業用水のめども立ち、臨海工業地域開発の気運も高度経済成長とともに到来するのである。
天竜東三河特定地域総合開発計画
「豊川用水史」より