さらに、昭和四十六年から五十五年にかけて第二次緑化十か年計画が積極的に実施され、公園緑地を中心に一四万八〇〇〇本が植えられた。平成七年の時点で街路樹は約二万五〇〇〇本にものぼっており、植える緑化から育てる緑化へと変わりつつある。緑の町豊橋は、こうした時間の経過の中で、市と市民とが一体となり情熱を傾けてできたものである。
豊橋市の街路樹の管理方法は全国でも類のない独自の方法を採用している。イチョウやケヤキなどは自然の成長にまかせ、プラタナスやポプラなどは下枝のすそ刈り程度にしている。せん定をしないために伸びた枝や葉が信号機の妨げとなる場合には、市の緑化予算で信号機の腕木を伸ばしたり、補助信号灯をつけるなどの措置をとっている。
公園緑地の造成は、静かな風格ある吉田城を生かした豊橋公園の完成を契機として都市部から郊外へと広がった。そして、向山(むかいやま)緑地・高師緑地・岩屋緑地・牛川遊歩公園・岩田運動公園などが造成された。これらの公園は、画一化を避けて地域の特性を生かしており、市民の憩いの場として親しまれている。
こうした豊橋の都市緑化への努力は全国から注目され、昭和五十八年度には建設省の都市景観形成モデル事業の指定を受け、六十年には緑化推進功労者として内閣総理大臣賞受賞に輝いた。現在、人口一人当たりの公園面積は七・六平方メートルであり、全国における公園緑地行政の先進都市になっている。今後の公園建設構想として、三河臨海緑地公園や豊橋総合動植物公園、豊橋公園を核にした「歴史と文化の公園」づくりなどが企画されている。
行政による緑地政策とは別に、市民による自然保護運動も昭和四十年代から活発化していった。四十四年に豊橋自然歩道推進協議会が結成され、会長に野沢東三郎が就任し、事務局を豊橋文化協会内に設けたのである。これは厚生省の東海自然歩道に通じる豊橋自然歩道を建設しようとするものであった。弓張山系に石巻山自然歩道や葦毛(いもう)湿原岩崎自然歩道など六ルートが完成した。
この自然歩道の中にある葦毛湿原は、約七五〇種類の貴重な植物が自生する愛知県内最大の湿原であり、東海の尾瀬(おぜ)と呼ばれている。ここで見られる植物は、湿原というきわめて特殊な限られた自然環境にしか成育しない種が多い。残念なことに、最近では訪れる人が急増して植生環境に悪影響が出てきている。そこで、市民団体と豊橋市が協力して葦毛湿原の植生保護のための保護地域の設定や施設充実に努力している。
葦毛湿原