国際交流の推進

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 二十一世紀を展望した時、国際化時代にふさわしい開かれた地域づくりと市民の国際感覚を育てることは大切なことである。とりわけ、国際貿易港を抱える豊橋市にとっては緊急課題であった。
 このような趣旨から昭和五十八年(一九八三)、高橋市長のもとで国際交流振興基金条例が提案され、議決された。これをもとに翌年「豊橋市国際交流事業実施要綱」が定められた。この交流事業では、青少年の教育・文化・スポーツ交流や、留学生と市民との意見交換会、英語版のガイドブックの発行、市民国際感覚を培う講座など多岐にわたっている。
 初年度の五十九年度には、市内の中学生一八人を韓国へ派遣し、直接体験を通して国際見識を培うためにソウル・プサンなどの史跡めぐりや民族文化の学習をおこなった。また、ホームスティなどを通じて中学生間の交流を深めた。一方、市民を対象にした国際交流講座では、「アメリカの社会と日本」「外国人から見た日本」などのテーマで開催したが、申し込み者が殺到し、国際化に対する市民の意識が高いことがうかがわれた。それとともに、人気のあった行事が市の主催する国際交流広場であった。少年自然の家での親子キャンプや生活家庭館での「日本の味体験」「民族文化ご拝見」などの行事に数多くの市民がつめかけて、楽しい国際交流のひとときを過ごした。
 昭和六十年度の中学生と勤労青年の海外派遣は、中国を訪問した。四泊五日の日程で江蘇(こうそ)省を中心に、上海(シャンハイ)・蘇州(そしゅう)・南京と中国でも経済活動の盛んな地域を見学し、韓国とはまた別の成果をあげた。
 昭和六十二年五月、豊橋市は従来から働きかけのあった中国の江蘇省にある南通(なんつう)市と友好都市提携を結んだ。調印式を終えたあと、一行は豊橋公園内に設けられた「友好の森」で記念植樹をした。南通市は長江(揚子江)に面した人口三九万人の港湾都市で、産業や規模が豊橋市と共通しているところが多い。この交流は文化・教育を柱に進められている。

南通市との調印式

 国際交流に市民参加をとの願いから、平成元年(一九八九)に官民一体の組織として国際交流協会がつくられた。そして、ここを核に留学生の交流や国際友好親善などの促進がはかられている。また、ライオンズクラブや地元企業など民間の国際交流も盛んになってきた。
 豊橋市の留学生や外国人労働者も国際化の波の中で増加の傾向にあり、教育や生活環境などの問題を地域住民とどのようにコンセンサスをはかっていくかなど多くの課題が山積している。