きゝんのこゝろえ 翻刻

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 (表紙)きゝんのこゝろえ
 万延元年庚申冬刻
きゝんのこゝろえ
      三河羽田文庫蔵板
 
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ちかき歳ころにいたりてハおくつ御稔ハさらにもいはす
くさ/\のたなつ物の価とものつき/\に勝りゆくを
ことしハことさらにいやまさりていみしきことになんかく
ては来ん年の麦の実のりもし少なからむにハ天の下の
人くさのなげきとなりぬべしそを思ふかあまりにいと
やむことなき君のはやくその御領民ともにみさとし
ましゝ御言をはしめ故中山の翁の心をもちひてものせられ
たる物を本としてなほおのか見聞る事をもいさゝか書そへて
 
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かくひと巻となし飢饉のこゝろえと名をおふせてもろ人に
しめさんとすあはれ世の人とものさる御心をこゝろとして
なるへき限ハ粗食をものしてひと日に米一合つゝひとり
にてくひあまさんにハ万人のうへにてハ十石のあまりしあれば
一日に二千人余りの食物を得へき事にこそされば上も下も心を
ひとつにしてあまねくもろ人を助け救ハん事をこひねかふになん
   万延元年庚申神嘗月
     三河国羽田文庫之文預 羽田埜敬雄(花押)
 
  天保九年戊戌六月
 或君より其御領民等へ被仰示候御直書之写
巳年申年両度之凶作二而米穀も乏く候処此気候二而
ハ此上何共難計万々一今年も凶作二候ハゝ国中土民の扶助
如何せんと日夜思を苦め候天地の変災ハ人の力ニ及兼候へ
共人ハ万物の霊と有之候へ者上下一致して人力を尽し候
ハ者其心天地神明に通じ変災も甚敷二至らずしてやミ
ぬへしたとひ変災やまずとも人力を尽したる上にて上下
もろともに飢に及ぶハ天命也君子ハ民の父母と有之候へバかりそめ
 
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にも国中数十万人の父母と仰かれ候上ハいかで子の飢にせ
まるを見るにしのびんや是ニ依て今日より七日の間精
進潔斎して□(吾カ)等の社へ五穀成就万民安穏の大
願をたて候へ共日々平常の食を用ひ候てハ恐懼の事故吾
等幷簾中初一同今日より日々粥を食し上ハ天の怒を慎
み下ハ民の惑をすくひ候心得ニ候此上何程凶年二候共国中
の米穀にて我等の食物其差支無之また粥を用候とて
其余りたる米穀国中の潤にも不相成候へ共重役初国中
の人吾等の心を推察いたし人々心次第ニ米穀を余し候ハゝ国
 
中飢餓の民ハ無之道理也たとへバこゝに兄弟十人有之一人ハ
富貴ニて珍味美食を用ひ二人ハ相応の勝手ニて十分飲
食す二人ハ平常の食を用ひて余の五人ハ飢て死んとする時
初の五人己レの食をわけ十人共ニ平常より少々粗食を
用ひ候ハゞ十人の命ハ全たかるべし吾等愚なる身にても国中
土民の父母となれは国中土民ハ相互に兄弟同様ニ思
ひ貧き者者弥倹約して富るものゝ救を受ざるやうニ
心がけ富る者ハわれひとりとまず一粒つゝもいやまして世
の中の人の潤に相成候様心がけ候ハゝ国中に飢民ハ有まじく候
 
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貴賤上下によらず心あらんものハ夫々其所の鎮守氏神
へ実意を以五穀成就の祈誓をこめ一粒づゝも食あ
まし一人づゝも人を助けんとこゝろざし候様いたし度事ニ候
   六月三日
 
飢饉の時の食物の大略
饑饉(ききん)を救ひ餓人(うえびと)を助(たすく)る術ハ昔より仁心ある人々厚く心にか
けて記おかれたる書籍も多く皆尊信すべき物也其中に予(かね)て
より心がけ饑饉為に平年(つねのとし)に手当するハ救荒の本にて凶年
に当りて餓死を救ふ方ハ末ともいふべし然れバ本ハ重く末
ハ軽きに似たれども今まさに荒年にさしかゝりてハ本末軽
重の論などにハ及バずいかにもして早く一人なりとも命を
助けずハあるべからず今年天保八年の春ハ去年諸国諸作不
熟にて冬より急に諸国一同に米価(こめねだん)高くなりて今春に至ても
下(さが)るべきやうすもなく国によりてハ餓死人も多くあるよし
なれバ今まづさしかゝりたる急務のミを記して広く世上に
 
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出して願ハくハ千人に一人にても餓死せん命を助けたき也
扨左に記す所ハ皆古へより人のいひおき又去ル天保五年より仁
心厚き人々の印施せられたる事又おのれらが自身に試ミ或
ハ聞伝へ居る事などの中にて手近く急務の用にたつべき事
のミを記したる也中にも民間備荒録より抄出したる事多し
○米価高くなるか又ハ不熟にて饑饉になる事もやと思はゞ
先ツ早く食物のある間に食ひ延(の)バす事を心かくべしたとへ
バ米麦ばかり食ひたるにハ粟稗大根(あはひえだいこん)なとを入るゝとか又は
三度の内一二度ハ粥にするとかいふやうにして少しなりと
も食ひ延バしておけバ外の物を食ふ時になりて米麦などの
交物(まぜもの)の力ありてろしきなり然るを饑饉らしく見えても先
 
づ持合せのあるうちハうか/\と食ひ尽せバ尽果て後にさら
にせん方なくなる事也是ハ貧究のものばかりにハあらず富
人なとも此心得ハあるべき事也全くの飢饉といふになりて
ハ金銀ハいくら出しても買ふべき米穀なくて金をハ持なが
ら餓死たる事天明の飢饉などに多かりしよしハ慥に聞伝へ
居る事也又世上に餓死する人もあるに我ハ主君の御恩か先
祖の御蔭にて日々の食事を不足もなく食ふといふハ殊の外
あり難き事なれハ此御恩をよく/\味ひてさて世上の為に食
ひ延バして少しにても餓人の助けとなるやうに心がくれバ
此陰徳にていよ/\仕合よく子孫も繁昌する種(たね)となる事也既
に今春甚貴(たふと)き御方様の御一飯ハ粥ばかり召上られて御奥向
 
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も御近臣も一度ハ粥ばかり食へと急度仰付られたるにより
て惣御家中一統に左様に成たるもある事慥ニ其御家中より承
たり甚以難有御事也扨飢饉といふになる時ハ思ひの外に食
物早く無くなるものにて田野に青草も生(は)へず人家の米穀も
常の年に一年食ふ程ハありと思ひたるも思ひの外に五七ヶ
月にて食ひ尽し半年ハ慥にあらんと思ひたるも二三ヶ月に無
くなるもの也是ハ自然と人々の食量多くなり又米穀の減(へり)方
強くなると見えたり是等ハ人の了簡の外の事にて全く天災
故の事と見えたり故に前方より食ひ延ハす事を深く心に掛
ざれバ思ひしよりも難義に及ふ事出来る也
○米穀を食ひ延バす術ハ粥と雑炊(さふすゐ)にまさることハなし中にも
 
雑炊ハ味噌を用ふれバ入用にハ費ある様なれどもそれハ金
銭の費にて世上の為にハ損益なし雑炊の方ハ芋葉(いものは)にても何
にてもあるにまかせて多く入るゝ物なれバ粥よりも米穀の
延(の)び方ハ多き也雑炊の煮方(にかた)ハ別に子細なき物の様なれども
ある仁者の近頃の印施に格別なる法ありそれハ泔水(こめかしみづ)壱斗白
米五合麦弐合五勺野菜海草何にても毒なき物を細く切て凡
壱斗五六升よく煮(に)えたる時味噌七十目塩ハよき程入れ此分
量四十人前一度の施也とそ此仕方を以て自身食ふにも程よ
く斟酌せバいかやうにも出来べき事也
○飢饉の時人の多く死するハ食物のなき故のミにハあらす数
日塩気を食せずして脾胃に塩と穀気と共に絶(たえ)たる所へ山
 
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野の草根木葉などを噌塩をも加へず食する故に毒にあたり
て死する事多しと也然れバ味噌塩ハ飢饉第一の毒消(どくけ)し也郷
村の役人などよく心得て村々に塩の貯(たくハ)へある様にすべし
○飢饉の食物の第一に扶助(たすけ)となる物ハ蕪菁(かぶら)にしくハなし根に
ても葉にてもいかにもして食ふべし外の物ハ穀類なしに食
へバ顔色青(あを)く力(ちら)なくなれとも蕪菁ハ是ばかり食ひても少し
も力落(ちからおち)る事なしと也さて此蕪菁ハ時節にかゝはらずいつ
にてもまきてハ又蒔まきてハ又蒔(ま)くべし二三ヶ月の中に二度
三度も食用となる程にハ出来る也よく心にかけて種(たね)を失ハ
ぬやうにすべし都近き所なとにてハ早く種を買ひおくべし
○三四月の頃雑樹の楢(なら)・樫(かし)・柏(かしハ)・榎(えのき)・柿(かき)・栗(くり)・桑(くハ)・常山(くさぎ)など其外何にても
 
毒也と聞及バぬ木又香気(にほひ)なき物の若葉を採(とり)てよく煠(ゆで)て茶を
乾(かはかす様に日に干(ほ)し乾かしいくらも/\貯(たくハ)へおくべし三四月
の若葉ハ採れバ又生し/\て尽る事なき物なれバたゞ多く採(とる)
を詮(せん)にして俵にしておくべし扨此干葉に価(ねだん)の下直なる枯魚(ひうを)
又ハ穀類を少し入れて味噌汁(しる)に煮て食ふべし一向に木葉ば
かりにてハ味も悪く力なくて養ひとなり難し
○青松葉をとりて釜(かま)に入れてよく/\煠(ゆで)てにほひをさり細か
にきざミ垉六(ほうろく)にて煎(いり)て臼(うす)にてひくかはたくかして粉とし蕎
麦(そば)粉六分に松葉粉四分程合せ団子(だんご)にして食ふべし格別に食
ひにくき物にハあらずと也但し昔西国にて松皮(まつのかは)を食ひたる
事を聞伝へて食たるに吐瀉(はきくだり)腹痛して死たるものゝありし所
 
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もありといへり是ハ製法のよからぬ故か松木の性の土地に
よりて違ふか知がたし然れバ此青松葉もよく試て用ふべし
○籾(もみ)の至て疎悪(そあく)にて舂(つき)て米にならぬをしひなといふ凶年に
ハ此しひな多きもの也是を皮(かは)ともに垉六にていり臼にてひ
くかはたくかして粉とし白湯(さゆ)にかきまぜて食ふべし味よき
もの也又此しひなの粉を渋柿(しぶかき)と一つに臼にてつきまぜて餅
となして食ふを柿餅といふ風味よき物也
○昆布(こんぶ)を水にてざっと洗ひて砂をさりて扨水にひたしおく事
一日余にしてなるたけ細かに切てひたし置たる水に醬油を
入れて塩梅をつけて米麦などの飯に多く交ぜ又ハ外の物を
も入れて雑炊(さふすゐ)にして食ふべし此昆布飯に薄醬油のすまし
 
汁をかけて食へバ味殊によろし必ひたし置たる水を用ふべ
し味よき也尤是ハ上品の食なれども富人などの米穀を食ひ
延バす一術也
○昆布・若和布(わかめ)・海松和布(みるめ)・荒和布(あらめ)其外の海草なるたけ取て干しお
きて食ふへし但海草ハ大方消化し難き物故にあまり打つゞ
きて頻(しきり)に食へバ腹痛(はらいた)み又腹の筋張(すぢは)る事あり時々食へバ害
なし
○薢(ところ)を掘(ほり)てわさびおろしにておろし水につけ置其水を折々替(か)
へ三日ばかりもかやうにして苦味(にがみ)をさりて餅団子にして
食ふへし葛(くづ)の通りになりて味よき上品の物也
○時節よくハ甘薯(さつまいも)を多く作るべし是ハ饑饉に第一の極上の物
 
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也葉も雑炊(さふすゐ)などに入て甚よき物也
○蕨根(わらびのね)○紫箕根(ぜんまいのね)○瓜楼根(からすうりのね)何れも掘取て寸々に切り
又ハ鉄槌(かなづち)にてたゝき水に浸(ひた)す事四五日の間一日に一度づゝ
水を替へさて取出し搗爛(つきたゞら)かし布の袋に入て澄(すま)し瀘(こ)して粉と
し米麦の粉又ハ米糠(こぬか)に交(まぜ)て餅なとに作るべしよく/\水飛(すいひ)せ
ざれバ害ありといへり此物皆性寒なれハ病人小児にハ同
しくハ食ハすへからす又必塩を入れて食ふべし塩気と穀気
となけれバ毒にあたる事ありといへり
○薏苡仁(すゞだま)(すだめ) ○雀麦(ちやひきぐさ)野麦也我が吉田なとにてハ烏麦(からすむぎ)といふ
此二色舂(つき)て皮をさり粉とし飯にも餅にもすべし
○蓮(はす)の若葉 ○芡(みつふき) 俗云鬼蓮(おにはす)也茎葉(くきは)ともに汁ありすゐぶん
 
若きうちに取るべし茎ハ皮を剝(さり)て食ふべし実(ミ)ハ七八月とり
根も煮(に)て食ふべし芋(さといも)の如し性よき物也蓮も鬼蓮も葉ハ若き
うちにとりて煠ゆで)熟して食ふべし
○菰首(こもつの) 真菰の根より生する若芽也 民間がつごのめと云 ○蒲筍(かまのめ) かばの若芽 蒲の初生也
○蘆筍(あしづの) よしの芽也よしの子とも云  又芦(あし)の根も若きハよろし
右三品ともに春の間に土を掘てとり煠熟(ゆびき)して味噌か醬油に
て煮て食ふべし此中にも芦の芽と根ハ生(なま)にて食ひても甘く
てよき物也とそ
○槖吾(つは) 又つはぶきとも云茎葉欵冬(ふき)に似たり冬黄色の花さく
茎(くき)ハ皮をさり欵冬(ふき)の如く
にして食ふ葉もやはらかなるハ煠て食ふ又煮て乾(かハ)かして貯(たくハ)
へ置てもよし一切の毒を解(げ)し中にも魚毒を解す功能宜き物也
 
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○接続草(すぎな) 土筆菜(つく/\し)の出る草也 ○酸醬(ほゝづき) 実(ミ)ハ女児のもて遊びとする物也
○繁縷(はこべ)何所にも多き蔓草也 此三品よく葉熟して淘浄(さハし)て食ふへし繁
縷ハ性よき物也酸漿ハよくさはさねバ苦味(にがみ)あり接続草ハ
瘡疥(かさ)あるものハ食ふべからず
○大薊(おほあざみ) 又山あざミとも云 ○小薊(こあざミ)○苦芺(さハあざミ)皆灰湯にて煠(ゆび)くべし
功能宜きものにて婦人(をんな)にハ殊に宜し○地膚(はゝきくさ)又箒(ほうき)草
○藜(あかざ) 葉大にて色赤きをあか藜と云葉小にて青きを灰条(あをあかざ)と云凶年の
時のミならず常の年にも乾して貯へ置て粮とすべし
○鴨跖草(つゆくさ) 葉ハ笹などに似て花ハ紺色也小児など
取て紙なとを染るにぽうし花とも云
 
○莧菜(ひゆな) ○青莧 ○赤莧 ○斑莧(まだら) ○野莧 此莧の
類は皆鼈(すつぽん) 又云どうがめ京大阪などにてハまるといふ と同食すべからず
○馬歯(すべり)莧 夏多くとりて湯をくゞらせて干し置けハ冬までも
 
食ふべし但蕨粉(わらびのこ)と同食すべからず 〇萱草(くわんさふ) 又わすれぐさ
〇薺(なづな) 〇䓆蓂(おになづな) 薺に似て毛あり 〇雁来紅(はげいとう) 葉鶏頭トモ
右大薊以下十六品何れも煠熟し麦粟などに合せて飯にも粥
にもし又味噌醬油にて煮ても食ふべし
○茅芽根(つばなのね)生(なま)にてもゆでゝも食ふうまき物也茅針(つばな)ハ若芽をとり
皮をさりて食ふべし甚小児に益あり
○鼓子花(ひるがほ) 朝顔に似て淡紅花(うすあかのはな)又白色のもあり 昼しぼまず故にひるがほといふ 根を掘よく煮てさ
はし麦などに交ぜ粥などにして食ふ葉も又煠熟して食ふべ
し但久しく食へバ頭暈(めまひ)し腹にあたる事もありといへり時々
食ふにハ害なしとぞ
○野蒜(のびる) よく煮熟さざれば麻渋(えご)くて咽をさすといへり故に六時
 
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程もよく煮て酢味噌にても雑炊などにもすべし少し毒ある
物なれどもよく/\煮れバ毒気もぬけて害なしと也上野国七
日市などにてハ少し凶年の様にあれバ早くより此野蒜(のびる)を多く
とりて覚悟(かくご)すると也
○商陸(やまごぼう) 平地の何方にも生へる也葉ハ烟草(たばこ)の葉に似て大きに花
ハ長く穂の如くに出紅白二品あり実ハ紫にて小豆の大さ
程あり花の白きを食ふべし赤花の方ハ毒多し 葉ハ灰湯(あくゆ)にてよく煠熟し水に浸(つけ)おきて
度々水を替へ二三日過て食ふべし根も掘取て薄(うす)く切て流水(ながれ)
に浸し二三日過て取出し甑(こしき)にてよく蒸(むし)て食ふべし少し毒あ
る物なれども右の通りにすれバ害なし此物ハ水腫を治する
にハ甚効能あるものなれバもし足(あし)などに腫気(ハれけ)あるものハ根
葉ともに一通りに煠て食ふ方大に宜し
○芣苢(おほばこ) 又車前草又まりこばともかいるばともいふ訛(なまり)ておんばこ共おばこともいふ 若草をとり煠熟し
一二夜水に浸しさはして涎(ぬめり)をよく淘洗(ゆりあら)ひさりて食ふ但性寒
なる物なれバ必米麦の類に雑(まぜ)て食ふべし稷(きび)又蕨粉などへハ
雑(まぜ)て食ふべからず脾胃弱き人ハ食傷すべし久しく食ひて惣
身浮腫(はれ)顔色青く又ハ泄瀉(はらくだり)或ハ大便秘結(つまり)などする事あらば上
白米を薄(うす)き粥に煮て焼塩(やきしほ)を入れて度々吸(す)へバ腫消(はれひき)て大便常
の如くになりて治する也惣て常に食ハぬ木草の根葉など
を食ひて身腫(みはれ)色青く又ハ腹痛吐瀉(はきくだし)などするにハ皆右の通り
の粥を折々吸へバ治する也よく心得おくべし
○羊蹄苗(しふくさのなへ)(ぎしぎし) 又云しのは又云和大黄(わだいおう)吉田などにて小児のとゝぐさと云物也何所にも有 葉味少し酢(す)し
よく煠て食ふべし根ハ苦味ありていかにしても食ひ難しと也
 
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○夏枯草(うつぼくさ) 又云うばのち葉ハ桔梗(きゝやう)の葉に似て花は紫也 若葉を灰湯(あくゆ)にてよく煮二夜
ほど水に浸(つけ)置て後(のち)に食ふべし秋になりて枯葉になりたるも
食ふによろしと也
○藤(ふぢ)の若葉 灰湯にてよく煮てさはし米麦に合せ飯にも粥に
も雑炊(ざふすゐ)にもして食ふべし必塩を入て食ふべし味噌塩なしに
ハ食ふべからず但産婦ハ決て食ふべからず
○忍冬(すひかづら)の若葉花もよし ○皂莢樹(さいかち)の若芽 ○五加木(うこぎ)の葉
此三品皆煠て食ふべし中にも五加木ハ性よき物也もし外の草
木の毒にあたりて惣身浮腫(はれ)たるにハ此五加木の根を掘て水
にて煎(せん)じて飲(の)めば腫消(はれひく)と也
○野胡蘿蔔(のにんじん) 苗葉常のにんしんに似て細し 若葉も根も煠て食ふベし
 
○鳳仙花 小毒あれどもよく煮て水を替て一夜さはせバ害な
しと也
○蘿摩(かゞいも) 又云こがみ 若葉を煠き水を替へさはし苦味をさりて
食ふべし味も性もよき物といへり村々にてハ畑の辺の籬に
必植おくべき物也とぞ
○とちの実(ミ) 正字詳ならず ○檞(どんぐり)の実此二品水を替へて煮(に)る事
十四五度するか又ハ皮をさりて一日一夜も流水につけおく
か同しくハよく煮て流水につけおきて米麦の粉又ハ米粃に
まぜて団子とし惑ハ湯にかきても食ふべし
右の外に ○葛粉(くづのこ) 但野葛俗にうるしつたと云ハ毒ありとなり
形状ハ葛とハ異るよしなれども葛と同字な
れバもしとり違ふる事もあらんか心得おくべし ○蕨粉(わらび) ○蓮根
 
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○榧実(かやのみ)但菉豆(ぶんとう)(やへなり)と同食すべからず ○椎(しひ)実○百合(ゆり)の類
○慈姑(くはひ) ○欵冬(ふき) ○蕨(わらび) ○紫萁(ぜんまい)○艾葉(よもぎ) 又云蓬 
○菊 花葉共 ○鶏冠(けいとう)草 ○紅花(べにばな)(くれなゐ)の苗 ○虎杖(いたどり)
○三葉(みつば)菜 ○芹(せり)菜 但赤芹ハ大毒也決て食ふべからず又春三
月頃よりしてハ蛭蝪(ひるとかげ)の玉子ある事多く又
玉子ハなくても蝪の毒ある事
ありよく/\改めよく/\洗ふべし ○鼠麴草(はゝはぐさ) 五行(ごぎやう)とも云所によりて
ハとうごとも云 などの類ハ常に食用とする物なれバ製法等も記
すに及バず故に略(はぶ)きたり
○生大豆と木槿(むくげ)の葉と一同に食へバ吐気(はきのき)なくて食はるゝ物也
といへり一合五勺程にて一日の食に足(た)るとぞ
○山手の村方にてハ山に生(はへ)たる牛房の如きものゝ葉を六月の
土用前後に採て水煮(に)にして二三日も水につけ置て乾(ほ)して貯(たくハ)
 
へおき粃小米(しひなこゞめ)などを粉にして一つに蒸(む)して臼(うす)にてつき餅に
して食ふに味よき物也とぞ生(なま)葉を直(すぐ)に右の如くして乾さず
に餅にしたるハ殊に宜しと也米粉五升もあれバ葉を入て倍(ふえ)
る故に八升程のかさになるよし也是ハ江州の湖辺の山附の村々
にて製して食ふ事也
○大根葉水菜の類ハいふに及ばず里芋の葉など何にても必乾(ほ)
しおくべし時節悪くて粉にならバ塩水をよくふりかけおくべ
し三四年ハたもつ物也
○天明の饑饉に諸(もろ/\)の木の葉ハいふに及ばず藤の葉をも多く食
ひたるに此藤の葉を食ひたるものハ青色に腫て死たるもの
多かりし也後によく聞くに穀物に交(ま)ぜて食ひたるものハ大
 
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方無難なりしかども藤葉ばかり食ひたるは皆腫たりといへ
り心得おくべき事也又是等につけても早くより用心して穀
物を食ひ延バすべき事也
○米をとぎたる泔水(しろみづ)をバ必たくはへ置て何を煮(に)るにも此泔水
にて煮れバ米の気あり又力もありてよろしといへり
○雪花菜(きらず)(とうふのから)に米の粉をまぜて団子にして食ひ居る所ありて食ひ
て見たるに格別に食ひにくき物にハあらずと我友某いへり
○天明の饑饉に藁(わら)を五六分程づゝに切て垉六にてよく煎りて
石臼(いしうす)にてひき又ハ手にてもみて粉にし米の糠(ぬか)を少し雑(ま)ぜて
白湯にても水にてもかきて食ひ居たるもの多かりし也米の
糠も得がたくなりてハ藁(わら)の粉ばかりをも食ひ居たり是等ハ
 
常の時に食ハるゝ物にハあらざれども饑饉となりてハただ
餓死を一日づゝもまぬかるゝ術也尤此藁の粉にても命をた
もち居たるものハ上より御救(おすくひ)の出るに逢(あひ)て全く餓死を逃(のが)れ
得たり是ハ予自身に見又藁の粉をも食ひて見たる事也是等
ハ食物とハいひ難けれど暫(しハらく)の命を延バす為にハなる事也
○土粥(つちがゆ)の製法 土ハ何方の土にても砂石(すないし)のすくなく土めよき
をえらび土壱升に水四升入れ桶(おけ)の中にてよくかきまぜ上水(うハみづ)
をさる事数(す)へん又水四升入れ前の如くかきまぜ水にひたし
おく事三日の間に一日に三べんづゝかきまぜすまし上水を
かへる也葛(くづ)の粉蕨(わらび)の粉を水飛する法の如し右の如く製法せ
し土へ水弐升入れ煮(に)て薄(うす)く粥の如くして食ふ其中へ菜大根
 
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など切こミ同しく煮て食ふもよし一日に三合より五合まて
食ふべし誠に此法を用ひバ五穀を食せざれどもうゑず身躰
つよくすこやか也とぞ 是ハ或官医の家法也とて続鳩翁道話に載せたり
○偏土などにてハ味噌に不自由にて食せずして木葉草根のミ
を食ふ故に其毒に中(あた)るものあり故に米粃(ぬか)味噌等の方を記す
○米粃味噌の法 △米粃(ぬか)一石 △大豆(まめ)弐斗 或ハ一斗 
△塩弐斗 或ハ一斗五升 大豆を釜にて醬油豆(しようゆまめ)程に煮て其釜へ米
粃を水にてよくしめり合ふ程にねりて入れ大豆の汁(しる)にて
蒸(む)してとくとよく蒸せたる時火を止(と)めよく舂(つ)き三品とも
によく入合ふにつき合せて桶へ入置三十日程にて用ふ
○又法 △米粃一石 △大豆一斗 △酒糟一斗 
 
△塩弐斗
○又法 △米粃一石 △酒糟一斗 △醬油糟壱斗 
米粃を釜にてよく蒸て舂(つき)合はする也酒糟なくハ入れずと
もよし
○飛騨(ひだ)味噌の方 △大豆一斗 △塩三升
右常の味噌の如く製し用ふる也
○赤味噌を多分に増す方 赤味噌一貫目の中へ豆腐のか
ら六升塩六合入れよくかき交ぜよく押つけ置日数三四十
日貯へおけバ味よき味噌となる也
○附録 米を増す方
○たとへバ米一升の飯を炊(た)かんと思ふ時に舂(つか)ぬ黒米を三合
 
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炮六にてよく煎(いり)熱(あつ)きうちに水に浸(ひた)しおく事凡六時ばかり
してさて白米を六合いつもの如く洗ひて右の浸し置たる米
三合を入れてよく交せ合せて水かげんハ常の飯より多く
入(いれ)て焼(た)く也是黒米と白米と合せて九合也然るに凡壱升余
炊(よたき)たる飯ほとになる也此飯味ひも甚よろしき也
○予(かね)て饑饉の用心にハ家の四方空地(あきち)などに柿(かき) 渋柿ハ殊に宜し栗(くり)・棗(なつめ)・
桑(くは)などを植置べし植(うゑ)様蓄(やしなひ)様などハ民間備荒録農業全書
なとをよく見るへし
○近年世上日増に奢侈(おごり)になるまゝに農家(ひやくしやう)も雑穀などをバ多
ハ作らずして野菜物・瓜・西瓜などの早く銭になり価(ねだん)もよき
物のミを作り出し都下へ持出て売りて扨なくて叶ハぬと
 
云にてもなき奢侈(おごり)の種になる物を買て帰て弥次第に奢侈
のミ増長する事多し故に饑饉に成てハはたと行当りて餓
死にも及ふ事也今年のなどに懲(こり)て唯々奢侈にならぬ様に
し雑穀など惣て命をつなくべき用になる物を多く作る
やうに心かくべし是ハ自分/\の為ばかりにハあらず世上の
為にもよろしき事也
右の外にも猶色々いはまほしき事ハあれとも初にもいへる如
く今ハ先づさしかゝりたる急務のミを一日も早く飢餓にも
及ぶ程のものに知らせたく思ひて早く用にたつへき事のミを
記せり扨去ル天保五年の頃より仁心ある人々の印施も多くあ
れバよく尋求めて見るべし必大利益を得る事あるべし
 
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 天保八年丁酉二月 三河国吉田藩 中山弥助美石
是ばかりの物に名を記す事ハをこかましくこと/\し
げにていかゞなれども食物ハ太切の事なれバ何人
の作ともしられずハおぼつかなきやうに思ふ人もあら
んかとてなり
 
○上件にもれたる食物となるべき品
よめな雞腸草 たびらこ黄瓜菜 げんげ花砕米薺 
みゝな巻耳 つりがね草沙参 すゞめのあハ雀舌草 
いぬがらし山芥葉 かうぞうな毛蓮菜 はまぼうふう防風 
ゆきのした虎耳草 にがな黄花菜 のげいとう青葙 
そばな ごぜな いぬうど たんごな まごやし 
つるにがな剪刀股 ゆでてさハす たんぽゝ蒲公英同上 水あふひ浮薔 
川ちさ水萵苣 うしぜり石竜芮 おらんだな 
ほんだハら 神馬藻 菱の実 いそ豆 めうがの若ぐき 
 
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へちまのわか葉 うど 藤ばかま またゝび藤天蓼 つる葉落葵
たら くこ 榎等の若葉
右の品々みなよく/\ゆでゝかならず塩をくハへてくふべし
○つねに食なれざる物をくひてもしあたりて腹痛しくるしむ時ハ
何にてもあたりたりと思ふ物を其まゝ黒やきにしてのむべしあた
りし物を不残吐瀉(ハキクダ)していゆる事妙也 ●またあつき湯ニ塩を入れて
かきたてゝ五六ぱいのめバ其まゝはきていゆべし医者の来ぬ間ニい
ゆる故これをいしやだふしの方といふ也●また塩をいりてなめて
もよし ●また茶の実又へうたんの実をこにして用ひてもよくはく物也 
 
●また大麦のこをかうバしくいりてさゆにて用ふ●一切の毒に
あたりたるにハ油を多くのめバいゆる事妙也
○きゝんの後にハ痢病疫病はやる事あるものなり
●はやり病をのがるゝ法ハせつぶんの夜きくの枝をやき
てその香をかぎまたあたりてよし ●またなすびの枝もよし
○もしわづらふ時にハ
●やく病にハばせをの根又めうがの根又ごばうの根いづれ
もつきしぼり汁を多くのみてねつをさますこと妙也 ●また
くりの枝又桜の皮をせんじ用ひてよし
 
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●り病には牛扁(ギウヘン) つるハい草又げんのせう共 に甘草をくハへせんじ用て妙也
やく病にもよし ●またきんこう痢にて水薬とも口ニ入らず
あやふきにハ酢(ス)をせんじかゞすべし ●また湯をわかし烏梅(ウバイ)一斤
を入れてこしゆすれバ食気つくもの也 ○痢疫ともにその大
べんに炭(スミ)のこをかくれバ悪臭をとめて人にうつる事なし ●又
夏の土用中しやうが一へぎ茶ニ入れてのめバ下りはらをやむ
ことなし
すべて得やすき薬方をのせたるものハ鈴木氏の救民妙薬衣
関氏の諸国古伝妙薬集蘿藦舡人の救急撮要方等也つきて見るべし
 
○飢(ウエ)をしのぐ法 うるし米のこ
五年酒ニひたしほしひたしてハほし/\して
酒一升をひたすらつくすべし
そば粉人じん右うるし米のこ目方三匁ニそばこ人じん二
品ハ一匁づゝまぜ合せてむくろじの大さニ丸じ米のこをころも
としよくほしかためて用ふ此薬一粒のめバ二三日うゑず気力
常よりもつよし然れ共毎日一粒をのみてよし此方ハ漢国の
張良といふ人に黄石公といふ異人の伝へし所の秘方なりとぞ 
●またごま一升唐なつめ一升 皮実をさるべし 寒ざらしのもち米
一升右三品をこれもむくろじ程に丸じ一日二三粒用ふれハ飢ず 
●また黒大豆一升 こなれがたくバ少しいるべし 麻(アサ)の実一升 同上 このて柏斤
 
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右三品をこにしてあめかみつにて丸じ用ふれバ飢ず神方也 
●また黒ごま五合黒豆五合をいり粉ニし米のこ四合と
ひとつにして廿五粒に丸じて一日二三粒 一度ニ一粒づゝ くひをれバ飢ず
 
○米を一陪(ハイ)にする法くろ米のまゝにてあらひ前日より水ニ
つけおきて米一升ニ水二升五合程いれて炊(タ)けバ大ニふえて
これを食すれバ腹もちよく多く食ヘバかへりて胸(ムナ)つかへする程なり
○米一合にて五人の食物ニなる法赤みそ目方廿五匁ほど
よく/\すりて米の洗ひ汁二升にてたてゝ其中へ米一合大こん
 
三四本いも五合ばかりこまかに切ていれよく煮(ニ)てなべをおろす
時に小麦のこ半合いれかきまぜしばらくうまして食すべし
○米をふやす法 白米をざつとあらひちりなどながしたる
まゝにてよくハかさずに水を一わり半ばかりも多くいれてたけ
バよほどの益あり俗にこれを弘法炊(タキ)の法といふ也
●また方白米一升をそのまま水ニ入れずせいろうにてむして
とり出しあらひて水二升五合入れ常の如くたくべし常の飯ハ
一升の目方八百匁なるをこの方にてハ壱貫三四百匁ニな
るなり
 
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○ぬかだんごの法こぬか一斗小麦のこ一升五合そバこ二
升右をにえゆにてこねだんことす右のわりにて一日ニ廿八人
の食となるなり
○わらもちの法 生わらを半日水ニひたしあくを出し砂
をあらひほをさりね本よりきざみいりてひきて粉ニした
る物一升ニ米のこ又くずわらび又小麦のこの類を二合い
れて水ニてねりもちの如くむしつきて塩かきなこをつけて
くふべし又ゆでゝつけバ弥よし
○松皮もちの法松の上皮をさり中の白皮の所バかり
 
とりよく/\たゝき灰水にて一二度せんじ やに気をさるなり こまかニき
ざみうすにてつきもちのこをふかし二品一同ニつきまぜ大
豆のこへとるなりさたうか塩などまぜてよし
○きゝんの大難ハ昔より度々ある事なるを遠き代の
事ハ暫くいはず近き代ニなりても寛永十九壬午年延宝
三乙卯年享保十七壬子年天明三癸卯年より午年
迄四ケ年の間天保八丁酉年等ニて右の時々五穀不熟ニ
て万民飢死せしもの数多ありことに里遠き山家など
にてハ一向食物尽ハてゝ金銭を多く持しものも財布(サイフ)を
 
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首ニかけながら飢死せし者も多かりしとぞ此事をふか
く思ひて食物ハ人間第一の宝なる事を忘るゝ事なく
常ニ心がけすたれゆく物を取あげおきて何ニよらずた
くハヘおく事を第一の心得とすべしさて上ニ挙たる食物ど
もハ元よりうまからぬ物にて誠ニさりがたき時ニものす
べき物なれはいまだ穀物(コクモツ)のつきハてざる先ニ用意し
てさる物をも取交ものしてなるべきたけハ食のバすべし
是らの心得の事ハ同学伊予人和泉利愛が御世の恵下総人宮
負定雄が民家要術下野の士鈴木氏の農喩抔いふ書共を見て知べし
 
わが祖父 美石 きゝむの時の食物の大略といふ書をもの
して板にゑらせたるハ天保八年にしてその板を
おのれ繁樹か羽田文庫にをさめたるハ嘉永二年
になむありけるさるをこたひ羽田埜翁それにもれ
たる草木の食物となるへきものをはしめかなら
ずこゝえをるへきことなどをなにくれとかきあつ
めそへられたるこの一巻よあまねく人にわかち
あたへむとのしわさになむいとも/\まめ/\
 
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しくこそされハこの書を見たらむにハうゑの災の
あらむをりもいのちたすかる人もおほかるへくまし
て心ある人はたれも/\その身のほと/\につねに
食物たくはへおかましとおもひおこすべきこと
になむ
  万延元年十一月中の卯日   中山繁樹