古墳・遺跡
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画像 | タイトル | 遺跡名など | 時期 | 解説 |
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嵩山蛇穴 | 嵩山蛇穴 | 縄文時代草創期~早期 | 豊橋市東部の弓張山系は堆積岩からなり、石灰岩の岩脈を含む。石灰岩は水の浸食作用によって洞窟を作る場合が多く、嵩山蛇穴もそうした石灰岩洞窟のひとつである。およそ10,000~7,000年前の縄文時代草創期から早期に、縄文人たちがこの洞窟を住居に使用したもので、当時は竪穴建物よりもこうした洞窟や岩陰を住居にするのが一般的だった。蛇穴自体は奥行きが70mほどあるが、縄文人たちが居住用に使用したのは入口付近だけである。国指定史跡。 | |
瓜郷遺跡 | 瓜郷遺跡 | 弥生時代中期 | 瓜郷遺跡は、弥生時代中期から古墳時代前期にかけて沖積地の自然堤防上に営まれた集落遺跡である。昭和20年代の5回にわたる発掘調査で、多数の土器や木製品が出土し、東三河平野部の拠点的な集落のひとつと判明した。東海地方の弥生時代研究の基礎を築いた学史的にも重要な遺跡である。現地には復元住居1棟が立つ。国指定史跡。 | |
神山古墳 | 神山古墳 | 古墳時代 | 神山古墳は、賀茂神社の境内に現存する直径約28m、高さ約3.5mの円墳である。表面に葺石は見られない。築造時期は不明だが、中期から後期と考えられる。神山古墳が所在する賀茂台地上にはかつて前方後円墳の弁天塚古墳をはじめ、複数の古墳が存在しており、豊橋市北部の首長の有力な本拠地候補になっている。市指定史跡。 | |
馬越長火塚古墳群周辺 | 馬越長火塚古墳 | 古墳時代 | 豊橋市北部にある国指定史跡・馬越長火塚古墳群とその周辺を撮影した航空写真である。背後に豊川の流れを控える丘陵に囲まれ、長火塚古墳、大塚南古墳、口明塚南古墳の3基の古墳が並ぶ。また丘陵の上には、古墳時代前期から中期初頭の首長墓が連続して築かれている。馬越長火塚古墳群と丘陵上の首長墓とは200年ほどの時期差があり、あたかも前者が後者の権威に保証されているかのような印象を覚える景観である。 | |
馬越長火塚古墳 全景① | 馬越長火塚古墳 | 古墳時代後期 | 馬越長火塚古墳は、古墳時代後期末葉の6世紀末に築かれた全長70mの前方後円墳である。古墳の南側は現在は湿地や埋め立てが行われているがもともとは谷で、対岸の台地上からは高くドーム状をなした後円部や平坦な前方部など特異な墳形の全体を見渡すことができる。国指定史跡。 | |
馬越長火塚古墳 全景② | 馬越長火塚古墳 | 古墳時代後期 | 古墳時代後期末葉(6世紀末)に築かれた、前方後円墳の馬越長火塚古墳を北西側から見た全景である。手前の前方部は後世に桑畑に改変されたため、上部がステージのように平坦になっている。また、後円部中央の著しいドーム状の高まりが観察できる。国指定史跡。 | |
馬越長火塚古墳 6トレンチ全景 | 馬越長火塚古墳 | 古墳時代後期 | 平成19年に実施された、馬越長火塚古墳の確認調査の様子である。6トレンチはくびれ部の北側を墳丘上から墳裾にかけて設けた調査区で、墳丘の背面に当たる。葺石から細かく段状に築かれた墳丘の様子をうかがうことができる。 | |
馬越長火塚古墳 7トレンチ近景 | 馬越長火塚古墳 | 古墳時代後期 | 平成19年に実施された、馬越長火塚古墳の確認調査の様子である。7トレンチはくびれ部の南側を墳丘上から墳裾にかけて設けた調査区で、墳丘の正面に当たる。ここには当初造出状の高まりがあったが、後世の盛り土と判明した。広く検出された葺石は墳丘に差し込むのではなく、貼り付けたような特殊な施工方法である。 | |
馬越長火塚古墳 横穴式石室入口 | 馬越長火塚古墳 | 古墳時代後期 | 馬越長火塚古墳の後円部には、南向きの横穴式石室が大きな入口を開けている。入口は通路を兼ねた墓前祭祀の空間である前庭から1段下がる構造で、立柱石と呼ばれる1対の石材が門のように構えている。ここから内部は、古事記のイザナギ・イザナミ説話に現れる「黄泉の国」の世界である。 | |
馬越長火塚古墳 横穴式石室① | 馬越長火塚古墳 | 古墳時代後期 | 馬越長火塚古墳の横穴式石室の内部を、入口から奥壁に向かって見た様子である。奥壁には1枚の巨石が用いられ、天井石も巨石である。使われている石材はおもに付近で産出される石灰岩で、風化が見られることから切り出したものではなく、山中の露頭やその付近に転落・散在していた石材と考えられる。 | |
馬越長火塚古墳 横穴式石室② | 馬越長火塚古墳 | 古墳時代後期 | 馬越長火塚古墳の横穴式石室の内部を、奥壁から入口に向かって見た様子である。側壁の柱状に立てられた立柱石によって石室の内部は羨道と玄室に分けられ、さらに玄室は立柱石によって前後2室に分けられる。玄室が前後2室に別れた構造は複室構造と呼ばれ、三河地方の横穴式石室の特徴のひとつである。 | |
宮西古墳 全景 | 宮西古墳 | 古墳時代後期 | 宮西古墳は、20基以上からなる馬越北山古墳群を構成する古墳のひとつで、直径19mを測る円墳である。馬越北山古墳群の中でも墳丘は際立って高い。横穴式石室が南に向かって開口しており、前面の道路によって墳丘と石室の前端は削平されていることが発掘調査で判明した。馬越長火塚古墳被葬者の有力家臣の墓と推定される。市指定史跡。 | |
宮西古墳 横穴式石室 | 宮西古墳 | 古墳時代後期 | 宮西古墳の横穴式石室は、羨道の前端が道路造成によって削られているが、市内では大型の部類である。馬越長火塚古墳と同様に、側壁に柱状に立てられた立柱石によって通路である羨道と遺体を収めた玄室とが区分される。石材は付近で産出されるチャートが主体である。石材には小ぶりなものも使用されるが、石室の平面形は馬越長火塚古墳の玄室とほぼ一致しており、両者の深い関係が推定される。石室自体の完成度は高くドーム状を呈した天井部分は見ごたえがある。 | |
大塚南古墳 全景 | 大塚南古墳 | 古墳時代終末期 | 大塚南古墳は、馬越長火塚古墳群のひとつで長火塚古墳に続いて築かれた直径19mの円墳である。現状で柿畑として改変され、墳丘上は平坦に削られて2段になっている。発掘調査によって本来は2~3段の段状を成していたこと、表面は長火塚古墳と同様に葺石で覆われていたことが判明している。また中央には著しく破壊された大型横穴式石室が存在する。国指定史跡。 | |
口明塚南古墳 全景 | 口明塚南古墳 | 古墳時代終末期 | 口明塚南古墳は、馬越長火塚古墳群のひとつで大塚南古墳に続いて築かれた直径23mの円墳である。柿畑に改変されて墳丘上は平坦に削られているが、ここでも葺石が確認されている。中央には全長10mの大型横穴式石室が存在するが、大塚南古墳と同様に後世に著しく破壊され、石材が抜き取られていた。使用石材は石灰岩が主体で、長火塚古墳や大塚南古墳と共通する。国指定史跡。 |