(あいちけんしせきめいしょうてんねんきねんぶつちょうさかい)
【考古】
大正8(1919)年に史蹟名勝天然紀念物保存法が公布され史蹟名勝天然紀念物調査会官制が定められたことに伴い、愛知県でも大正11年に愛知県史蹟名勝天然紀念物調査会が発足。調査会は国の史蹟名勝天然紀念物保存協会愛知県支部も兼ね、遺跡等の基礎的調査や史跡などの見学会、講演会、出版物の発行等の広報活動を実施した。県の調査委員は若山善三郎(史蹟)、伊藤文四郎(同)、杉田棄三郎(同)、狩野力(名勝)、田中和三郎(名勝・天然記念物)、梅村甚太郎(天然記念物)で、昭和2(1927)年に調査会主事として小栗鉄次郎が就いた。調査結果は『愛知県史蹟名勝天然紀念物調査報告』第一~二十にまとめられ、史跡等指定の判断資料となった。市域の遺跡・天然記念物では、宮口古墳、舞木廃寺、挙母城跡、大給城跡、松平氏関連遺跡、市場城跡、小原の古銭出土地、猿投の菊石、小原の四季桜などが調査され、舞木廃寺塔跡は昭和4年に国指定史跡となった。
『新修豊田市史』関係箇所:20巻760ページ
→ 小栗鉄次郎