(あすがかんのんどう)
【建築】
明賀町(旭地区)。観音堂は、どの宗派にも属さない惣堂で、由緒は不明であるが、もとは伊熊町(旭地区)の伊熊神社の境内にあり、明治の廃仏毀釈の際に現在地へ移築された。建立年代は、虹梁等の様式から江戸時代後期の遺構と推察される。正面3間(背面2間・3.630m)、側面3間(4.555m)の小堂で、もとは寄棟造、妻入の茅葺屋根であった。間取りは、前方の奥行2間を外陣、後方1間を内陣とし、内外陣境には面取角柱を2本立て、柱上に出三斗、中備に蟇股を入れ、柱間に両開き格子戸を吊っている。内陣内(写真)には背面に間口いっぱいの3段の仏壇を設け、仏壇上に石造の三十三観音像を祀っている。旧旭町をはじめ、市内山間部には大字ごとに地域住民が管理する小祠堂が多く残され、弘法祭りや地蔵祭り、庚申講や念仏講などが広く行われてきた。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻193ページ