足助川の洪水 

 

(あすけがわのこうずい)

【近代】

足助川は伊勢神峠の渓流に発し、足助八幡宮の東で北流してきた巴川と合流する。河川の延長は11.3kmである。巴川の源流は巴山(新城市と岡崎市の境、標高719m)で、いくつかの小河川を合流して足助に達する。巴川が足助川と合流する地点には、紅葉で有名な香嵐渓がある。巴川は足助街道と並行して南西へ流れ、九久平、奥殿を経て矢作川に注ぐ。巴川では水流を利用した水力発電が行われ、また夏秋には鮎漁が盛んである。足助の市街の中を流れる足助川は小河川であるが、明治時代には大きな洪水に見舞われた。特に明治15(1882)年10月1日正午頃から降った大雨は未曽有の洪水を引き起こし、午後8時頃には足助川が増水し、9時には満水状態となった。旧足助町の白木屋に所蔵されてきた洪水記録には、土蔵や隠居宅が流され、濁流が生活用品を飲み込んでいく様相が詳しく記されている。また15年の大雨は東加茂郡桑田和村でも民家や橋を流出させ、村民に犠牲者も出た。東加茂郡全体では溺死者18人を出し、流出家屋75棟など家屋の被害も大きかった。足助川では25年、26年、29年の大雨でも増水し、家屋・道路・橋梁に被害を出した。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻275ページ、23巻230ページ