足助重方  生没年未詳  

 

(あすけしげかた)

【古代・中世】

鎌倉時代中期の武士。足助重朝の子。建治元(1275)年の京都六条八幡宮の造営では幕府の御家人が費用を分担したが、その際に三河の御家人として6貫文を負担している。この家が、足助の地で地頭を継承していたことを示していよう。また、小国ながら佐渡の国守となっており、従五位下に昇り、御所への昇殿を果たすなど、足助氏は貴族社会特に天皇家との関係が深かったことをうかがわせる人物である。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻230ページ