(あすけちょうしょうこうかい)
【近代】
明治43(1910)年頃に設立された足助町の商工業者団体。『愛知県東加茂郡誌』によると、国鉄中央線開通が足助商工業にもたらした影響からの挽回を目的として、明治43年に設立された。ただし、明治42年7月に足助郵便局電話架設費として77円余りを足助町商工会が寄付したことに対して、愛知県知事が大正元(1912)年7月に木杯を下賜しており、これらの前後関係は定かでない。明治44年現在121人の会員を擁し、同年に冊子『足助町案内』を刊行している。営業税等の廃税運動にも参加し、大正3年2月、総会で廃税を決議した。戦後も存続し、昭和36(1961)年1月7日に、商工会法に基づく特別認可法人に組織替えされた。平成17年(2005)年の豊田市への合併を機に、足助商工会に改名。なお、足助地区では、足助町商工会設立以前にも足助商工会の存在が確認される。これは明治26年9月に愛知県から認可され、翌27年1月7日に発会しており、商業の利害得失検討や振興を目的としていた。発起人惣代は鈴木新造。活動内容は意見の答申、調査、郡役所や県庁への報告であり、明治27年には日清戦争の影響を報告している。足助町商工会との関係については不明であるが、昭和36年の足助町商工会組織替え時の祝辞では、同一組織と位置付けられている。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻451ページ
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