足助八幡宮の山車 

 

(あすけはちまんぐうのだし)

【建築】

足助八幡宮の秋の例大祭(足助祭り)において曳かれる西町、新町、本町、田町の4輌の山車は、いずれもほぼ同形同大で、造られた年代も江戸時代末期頃と考えられる。山車は「足助型」と呼ばれ、上山と下山から成る二層型、車輪は内輪式である。下山前方の高い位置に「出役棚」と呼ばれる舞台が設けられ、巡行中3、4人がこの上で踊る。楫棒は前後に長く突出し、下山柱の内側に麻綱で地貫に結束する。下山は全面に床を張り囃子段とする。上山は「六本」と呼ばれる円柱と角柱の錺柱を土台框に立て、当初は上下する構造であった。上山前半の奥行1間を前室(外陣)、後方1間を後室(内陣)とし、本町山車を除いて、内陣正面に「仏壇」と呼ばれる唐破風付の厨子の飾りが付けられる。上山の四周には高欄を付し、内部には床を張る。屋根は向唐破風とし、軒天井を付し、大棟端部の飾りや破風の兎毛通しには各町それぞれ特徴のある彫刻を施す。現在、上山の六本柱は大正期に敷設された道路上の電線の高さに合わせて切り縮められ、当初内陣の側背面にあった絵襖や板人形も取り外されている。屋根板も屋上に登れるように後世改造されている。足助の山車4輌は、下山の正面に「出役棚」を備え、上山は漆や極彩色、錺金具等を用いた部材や彫刻で飾られ壮麗な山車である。19世紀前期には現在のような形式に整備されたと考えられる。市指定有形民俗文化財。写真は西町の山車。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻431ページ