(あすけはちまんぐうほんでん・はいでん・きゅうしょうろう)
【建築】
足助町(足助地区)。本殿の建立年代は、室町時代中期とみられる。本殿(写真)は前庇に室を設けた前室付三間社流造で、屋根は檜皮葺で南向きに建てられる。規模は桁行3間、梁間3間で、平面寸法は桁行5.32m(17尺6寸)、梁間3.38m(11尺6寸)、庇の奥行1.275m(4尺2寸)である。身舎(内陣)は桁行3間、梁間2間で、棟通りに柱を立てて柱間装置を設けて2室とし、奥1間を内々陣として神座とする。身舎前面の庇1間は前室(外陣)となる。身舎の正側三面には刎高欄付の切目縁を廻らし、正面中央に木階7級と擬宝珠高欄付の登高欄を造り、両側面の身舎背面柱筋には脇障子を立てる。軸部は、身舎柱を円柱、庇柱を面取角柱として石垣積上の礎石に立てる。庇部分の前室では、正面柱間に地貫・切目長押・頭貫を通して、頭貫端に木鼻を出し、両端の庇柱上に連三斗、中柱上に出三斗を載せる。後方の身舎柱へは海老虹梁で繋げて上を解放し、中柱後方には手挟を入れる。両側面には小さな横桟入りの開口を開けた袖壁を付ける。身舎の周囲では、地貫・切目長押・内法長押・頭貫を通して、頭貫端に木鼻を出し、柱上に平三斗を置き、中備は間斗束とする。柱間装置は正面3間には格子、両側面には前1間に両開き板戸を建て込む。他は漆喰仕上げとなっている。身舎内部の内々陣と内陣境の柱間3間には弊軸付板扉を吊る。床は拭板張りで、床高は縁・外陣・内陣の順に高くなっている。天井は、内々陣は板天井、外陣は化粧屋根裏天井である。妻飾は虹梁大瓶束で、破風の拝みには鰭付蕪懸魚を吊る。軒は二軒繁垂木。屋根の大棟は箱棟で両端に鬼板を置き、千木や堅魚木を使わない。この本殿は、内陣と内々陣境の弊軸付板扉の取り付きが不自然な点、内陣の天井が低くなっている点、庇の前室の両側面の脇壁の設置など、後世の改修によるとみられる変更箇所がいくつか確認できる。拝殿は棟札によれば、天明4(1784)年の建立で、桁行実長8間、梁間実長2間半、切妻造、銅板葺(もと檜皮葺または杮葺)、平入の横長の建物で、正面に向唐破風付の3間向拝を付す。旧鐘楼は江戸時代中頃の建築で、切妻造、桟瓦葺、平入で、1間四方の内転びのある小規模な建物である。旧神宮寺の遺構である。本殿は国の重要文化財に指定されている。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻228ページ