熱田大宮司家      

 

(あつただいぐうじけ)

【古代・中世】

平安時代末期から、尾張国熱田社の大宮司職を継承した家。11世紀後半、藤原季兼は兄弟が三河守をつとめたことなどを背景に、三河に移住して現在の岡崎市である額田郡を開発し、実質的な荘園としていった。やがて尾張に進出し、古代から熱田社の大宮司を継承していた尾張氏の娘を娶り、その間に生まれた季範が大宮司職を受け継いだ。以降、その子孫の一族が大宮司となる歴史が始まったのである。この季兼の甥にあたる藤原惟康を「三河国高橋庄領主」とする史料があり、そうであれば、市域に広がる高橋荘の開発にも季兼などが関わっていたであろう。その場合、現存する史料では12世紀後半(1176年)からあらわれる高橋荘の成立を、11世紀後半にさかのぼって考える可能性が出てくる。なお、季兼の活動を後援したのは摂関家であったが、のち熱田大宮司となってから、この家は院権力とのつながりを深めていく。そのため、額田郡も実質的な天皇家領としての側面を帯びていくのである。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻187・200ページ