荒山1・2号墳

 

(あらやま1・2ごうふん)

【考古】

高橋地区琴平町の丘陵上に所在した2基の古墳。平成14(2002)年に県埋蔵文化財センターによって発掘調査が行われている。丘陵頂部の平坦面に位置した1号墳(写真上)は6世紀前葉の築造で、現状では市内最古の横穴式石室を有する。古墳は直径12m以上の円墳で、自然地形の高まりを利用して墳丘を削り出した上に盛土されたとみられる。横穴式石室の一種である竪穴系横口式石室は、開口部側で0.8m、奥壁部側では1.5mに及ぶほど深く掘り込まれた長辺5.3m、短辺3mの長方形の墓壙内に構築されていた。玄室の平面形は長方形で、奥壁・側壁、玄門部の段構造ともに板状の石材が用いられていた。石室の規模は全長4.8m、玄室長4m、奥壁部幅1.3mを測り、玄門部の段差は92cmにも及ぶ。副葬品には、6世紀前葉と7世紀初頭の須恵器、鉄刀・刀子・鉄鏃や耳環・勾玉・管玉、滑石製やガラス製の小玉などがある(写真下)。斜面に位置した2号墳は、墳丘・石室共に原形を留めていなかったが、1号墳よりも小規模である。周辺から出土した須恵器により、7世紀中頃の築造とみられる。1号墳の特徴的な横穴式石室は、西三河における在地の古墳の系譜からは理解することができず、類例は朝鮮半島に求められ、こうした渡来系の埋葬施設が、市域における横穴式石室の採用や普及の契機となった可能性がある。2号墳の周辺から出土した須恵器の三足壺も古代中国や朝鮮半島に起源をもつもので、国内で出土した遺跡の数は30か所ほどに限られている。1・2号墳の渡来系文物は、市域における古墳時代の広域交流を考える上で、極めて重要な資料であるといえる。


資料提供者「(公財)愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター」

『新修豊田市史』関係箇所:1巻482・486ページ、19巻722/12号104/14号206ページ

→ 横穴式石室