(いいだかいどう)
【近代】
南信州の飯田(現長野県飯田市)から伊那谷南端の根羽村(現長野県下伊那郡根羽村)、足助(現豊田市足助町)、愛知郡平針村(現名古屋市)を経て名古屋に至るルートである。明治9(1876)年に制定された太政官達第60号で国道・県道・里道の3等級が設定され、それぞれ1~3等級に格付けされた。飯田街道は県道3等(著名な区から都府に達するもの、あるいはその区から海港などに達するもの)に指定されている。だが、飯田街道は道幅1mほどの場所が多く、物資輸送は主に馬の背に頼る状態であったため、改修工事や路線変更が行われた。明治15年5月、矢作川に平戸橋が新設され、路線が変更されている。明治27年9月の臨時県会では、従来の足助町中之御所、賀茂村桑田和・千田を経由する路線が大和村越田和・豊岡・久木・新盛を経由する大和線に変更された。明治28年に平戸橋が架け替えられると、飯田街道も新平戸橋から矢作川に沿って勘八山の山腹を掘って新設され、明治35年に工事が竣工している。飯田街道最大の難所が東加茂郡伊勢神村の伊勢神峠(現明川町)であり、荷車による往復が困難な難所であった。そのため、明治28年、愛知県による県費全額負担の下、伊世賀美隧道の工事が着手された。最終的に、伊世賀美隧道が竣工したのは明治30年11月のことであった。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻134ページ