(いいもりやまじょうあと)
【考古】
足助地区の飯盛山頂部に所在する中世城館跡。標高254m、平地との比高が約130mの地点に立地し、東に真弓山城跡がある。近代以降の公園化により土地改変が行われたため、本来の城郭の遺構を見出すことが難しい。最高所に主郭がありその周囲に複数の曲輪があったと想定されるが、疑問点も多い。平安時代末期に山田重長が移住し足助氏と称した時に築城されたと伝わるが、これに伴う遺構は明確ではなく、主郭などは後に鈴木氏によって改修された可能性がある。県指定史跡名称は「飯盛城址」であり、主郭がある山頂には平安時代末期の飯盛山経塚が造営されている。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻555ページ、20巻522ページ
→ 飯盛山経塚