(いけがみいけ)
【近世】
伊保堂村にある用水池。万治元(1658)年築造され、伊保堂村・殿貝津村・上伊保村が利用していた。池の水門圦口から東西に分かれ、東は殿貝津村、西は伊保堂村・上伊保村へ流しており、その配分をめぐって寛政4(1792)年に争論が起こった。仲介にあたった篠原村庄蔵・文之右衛門・下伊保村佐吉・平右衛門は、双方の主張の違いを殿貝津村八木池から引くことで争論を収めた。八木池からのあらたな水路の建設には領主から手当米をもらい、3か村から人足を出した。なおこの地域には今池をはじめ多くの用水池が史料上確認できる。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻248ページ、8巻148ページ