憩いの家

 

(いこいのいえ)

【現代】

昭和41(1966)年12月、財団法人勤労センター憩いの家(現あすて)が設立された。豊田市では高度経済成長期、全国から見知らぬ青少年たちが大量に流入したため、勤労青少年の健全育成が課題となっていた。そこで青少年に「真の平安と憩を与え勤労の意欲と生きる喜びを見出して」(設立趣意書)もらおうという意図から憩いの家が設立される運びとなった。建設費約4000万円のうち3500万円をトヨタ自動車工業株式会社、高丘工業、大豊工業、小島プレス、豊田鉄工など市内有力20企業が提供したという。建物は鉄筋2階建、1階にはサロン、食堂、キッチン、和室、事務室、浴室、便所等を備え、テレビ、ステレオ、ソファー、囲碁将棋などの備品も置かれた。また2階にはホールや和室があって宿泊もでき、鉄筋平屋建ての体育館も併設された。憩いの家の入口には「ここは憩いの家です。肩書をはずしましょう」と書かれた看板を掲げ、対等な人間として自由に交流しようという願いが込められた。憩いの家ではさまざまな娯楽・文化の行事が行われたが、ボランティアの仕組みが導入され、ここに婦人たちが関わった。


『新修豊田市史』関係箇所:5巻195ページ

→ 混住化新規学卒者の流入