(いしこ)
【民俗】〈諸職〉
石粉はサバ土と呼ばれる風化した花崗岩の石砂を精製して粉末にしたもので、その成分として珪砂を含んでいた。陶土と混ぜれば磁器の原料となり、そのままだとガラスや釉薬の原料となった。市域の石粉生産量は愛知県内の9割以上を占め、小原・藤岡・猿投・保見地区で採掘されて瀬戸や東濃の窯業生産地へ出荷された。サバ土は山の持ち主と契約して採掘し、その量に応じてネング(年貢)と呼ばれる利用料を払った。採掘する前に山の木をノコギリやナタ(鉈)で伐採し、ウワツチ(表土層)を鍬ではね、サバ土の層が出てくるとツルハシ(鶴嘴)で掘り下げていった。白川(藤岡地区)ではサバ土を掘った坑をアナボコといった。掘り出したサバ土は精製のために工場まで運んだ。工場ではサバ土を水洗いして珪砂を選別し、これをトロミル水車で破砕した。トロミルは正式には「トロンメル」といい、大正時代に導入された破砕機である。それ以前は水車に連結した杵で硅砂を砕いていた。トロミル水車を回転させるため、工場は川沿いに立地し、クルマヤ(車屋)、クルマヤシキ(車屋敷)と呼ばれた。トロミルは鉄板と鉄骨で組み立てられ、その形は円筒か多角柱で、内側にガワイシ(側石)と呼ぶ御影石(花崗岩)を貼っていた。この中に、水洗いしてサバ土から選別された珪砂と水、グリ石(玉石)を入れ、水車で回転させて珪砂を細かく砕いた。二昼夜もすると硅砂はドロドロになるため、フネという沈殿槽に流し込んだ。この時、ニガリを入れると石粉が沈殿しやすくなった。沈殿した石粉はマンガですくい、石粉を乾燥させるホシコ(干粉)小屋の干し棚に置いて乾燥させた。乾燥した石粉はハタキ小屋に運び、杵でさらに細かく砕いて粉末にした。石粉は俵や南京袋に詰めて出荷し、戦前は馬車や牛車、荷車、戦後はトラックで運ぶようになった。トロミル水車は、昭和40年代には電力に押されて姿を消した。〈諸職〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻22・206ページ
→ トロミル