(いしぼうちょう)
【考古】
弥生時代に中国大陸から日本列島にもたらされた水田稲作農耕関連の大陸系磨製石器の一つで、稲の穂首を切り取るための穂摘具。長さ10cm前後で半円形または長方形をしている。半月形で直線刃の付くものが多く、刃と反対側に2個または1個の小孔が空けられている。この孔に紐をかけて指を通し、刃を稲穂の下に当て、捻るようにして穂先を切り取った。石材には凝灰岩や頁岩、粘板岩、砂岩、緑色片岩などが用いられている。市域では、鴛鴨町川原遺跡で破片28点が出土しているほか、可能性のある破片が稲武町馬ノ平遺跡と大野瀬町ヤシロジマ遺跡で各1点発見されているのみである。川原遺跡では、刃部にイネ科植物を切った時に付く光沢痕がみられる打製刃器が多数出土している一方で、長さ22cmの大型磨製石庖丁(写真)も発見されていて、後者は儀式用の石器であった可能性をうかがわせている。石庖丁は、弥生後期に根刈りを可能とした鉄製鎌が普及するにつれて消えていったとみられる。
資料提供者「(公財)愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター」
『新修豊田市史』関係箇所:1巻142・163・190ページ、19巻790ページ
→ 川原遺跡、石器石材