(いせわんたいふう)
【自然】
昭和34(1959)年9月に潮岬に上陸した伊勢湾台風(台風15号)は、昭和9年の室戸台風、昭和20年の枕崎台風と並ぶ昭和の3大台風といわれるもので、全国の死者・行方不明者が5000人を上回り、伊勢湾岸地域だけでも4600人に及んだ。台風は太平洋上では台風と呼ばれているが、インド洋ではサイクロン、大西洋上ではハリケーンに相当する。台風は、熱帯低気圧の最大風速が17.2m/s以上に強まった反時計回りの渦であるが、必ずしもサイクロンやハリケーンと同じ基準ではない。台風が発生する緯度帯は、北緯10度から20度の熱帯内収束帯(ITCZ)であるが、伊勢湾台風は、北緯15度、東経145度付近で発生し、台風が向きを変える転向点が北緯28度、東経135度で最も日本列島に接近、襲来する確率が高いコースを辿ったことになる。伊勢湾台風でこれだけ多くの被害を出したのは、潮岬に上陸した時点での中心気圧が930hPaであったこと、伊勢湾の間口が広く奥行きが狭まる逆V字型をなしていたこと、さらに上陸時が満潮時と重なったことなどが挙げられる。さらに、伊勢湾岸地域は、地盤沈下による0m地帯が高潮被害を助長したからである。台風は反時計回りの渦であるから、台風の西側に比較して東側はスパイラルバンドやアウターバンドが発達しやすく、風速も強い。このため、伊勢湾台風が潮岬に上陸した場合、伊勢湾岸地域は台風の東側にあたり、名古屋気象台で最大瞬間風速が37.0m/s、伊良湖岬では45.4m/sを記録した。
『新修豊田市史』関係箇所:23巻646ページ
台風被害 伊勢湾台風(台風15号)は、気圧の低下による海面の上昇と強風などによって愛知県・岐阜県・三重県など伊勢湾岸地域に著しい被害を与えた。伊勢湾岸の地域では、高潮によって広範囲が水没した一方で、市域などの内陸地域では河川の増水による洪水・氾濫に加え、強風による建物の損壊も著しかった。愛知県では死者3168人、行方不明92人、重傷者3090人、軽傷者5万5955人、家屋の全壊2万3334棟、流失3194棟、半壊9万7049棟、床上・床下浸水6万2831棟などの大きな被害が引き起こされ、市域でも洪水や氾濫、山地崩壊による土砂災害などによって多数の被害が出た。伊勢湾台風被害図(『愛知県災害誌』)によれば、矢作川の枝下大橋付近から上流側の加茂橋付近にかけて、足助川沿いの川山橋付近から日陰橋付近にかけて、稲武地区の水別川沿い、藤岡地区の飯野川上流やその支流の北一色川、犬伏川沿いなどにおいて道路の決潰が数多く発生した。また、猿投地区の籠川および保見地区の伊保川などにおいて堤防の決潰が発生し、矢作川本流の久澄橋や阿摺川との合流部付近の加茂橋などで橋梁の流出が発生した。久澄橋については、わずか4時間で矢作川の危険水位を大きく上回る濁水が下流に押し寄せたことで、橋の中央部が約60mにわたって流失した。伊勢湾台風による市域における旧市町村別の被害については、以下のとおりである。旧豊田市では死者6人、重傷者10人、軽傷者162人、全壊323棟、流失7棟、半壊620棟、床上浸水17棟、床下浸水100棟。旧上郷村では死者1人、重傷者9人、傷者850人、全壊233棟、半壊727棟、床下浸水150棟。旧高岡町では死者6人、重傷者41人、軽傷者527人、全壊196棟、半壊802棟、床上浸水3棟、床下浸水98棟。旧猿投町では死者9人、重傷者9人、軽傷者44人、全壊208棟、流失2棟、半壊387棟、床上浸水23棟、床下浸水266棟。旧藤岡村では重傷者1人、軽傷者2人、全壊40棟、半壊71棟、床上浸水2棟。旧小原村では死者1人、重傷者3人、軽傷者102人、全壊24棟、流失1棟、半壊62棟、床上浸水1棟、床下浸水11棟。旧足助町では死者17人、行方不明1人、重傷者4人、軽傷者25人、全壊49棟、流失5棟、半壊183棟、床上浸水42棟、床下浸水214棟。旧松平村では重傷者2人、軽傷者5人、全壊19棟、流失1棟、半壊97棟、床上浸水50棟、床下浸水120棟。旧下山村では死者1人、重傷者1人、軽傷者3人、全壊34棟、流失1棟、半壊102棟、床上浸水8棟、床下浸水11棟。旧旭村では死者4人、行方不明1人、重傷者4人、軽傷者1人、全壊36棟、流失1棟、半壊78棟、床上浸水4棟、床下浸水38棟。旧稲武町では死者1人、重傷者5人、軽傷者6人、全壊15棟、流失2棟、半壊71棟、床下浸水31棟。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻182ページ、23巻632・640・646ページ
【現代】
伊勢湾台風襲来の翌年の昭和35(1960)年8月26日と27日に県内では災害対策総合訓練が実施され、その結果をふまえた意見や問題点が各地方事務所や地方公共団体から提出された。市域からも豊田事務所や高岡町、猿投町から意見が出され、例えば高岡町からは今後の防災対策として電話局の協力が必要であると情報伝達に関わる指摘がなされている。一方、伊勢湾台風は未曽有の被害をもたらしたため、市域に限らず、関係各機関は災害対策の見直しを迫られ、昭和36年11月に総合的で計画的な防災行政を整備し、推進することを目的とした災害対策基本法が制定された。同法に基づいて市域の各市町村でも防災に万全を期することを目的に地域防災計画が策定され、そこに住民と災害対策との関わりについて盛り込まれた。なお9月1日の「防災の日」も、伊勢湾台風の衝撃を直接の契機に制定された。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻182ページ、14巻664ページ