磯谷清市  1907~1989

 

(いそがいせいいち)

【考古】

平和町出身。長きにわたり豊田市文化財保護委員・文化財保護審議会委員を務め、文化財保護行政や豊田市郷土資料館開館時の運営などに関わった。市内の遺跡をくまなく踏査し、昭和31(1956)年に作成した『挙母市史資料』の「挙母市古墳一覧表」は、戦後初となる市内の古墳の集成資料となった。昭和27年に豊田大塚古墳で埴輪片を採集、同34年には測量調査に参加し、同38年には悲願であった発掘調査を実現させた。磯谷の熱意が大きな調査成果を生み出し、やがて出土品の保管施設として豊田市郷土資料館を開館させるに至ったことは、誠に大きな功績であったと評価される。昭和41年には、その後に大規模な調査が継続されることになる高橋遺跡を発見している。磯谷の長年にわたる遺跡踏査に基づいて昭和48年に刊行された『豊田市遺跡分布調査報告書』は、市内初の遺跡地図としてその後の埋蔵文化財行政や研究の基礎資料となった。没後に膨大な記録類が市に寄贈され、平成6(1994)年には『磯谷清市氏寄贈考古資料図録』が刊行された。


『新修豊田市史』関係箇所:20巻763ページ

→ 高橋遺跡豊田大塚古墳