(いそざきじんじゃぶたい)
【建築】
深見町(藤岡地区)。磯崎神社の境内は、山裾の比較的広く開けた平坦地にある。舞台の建立年代は、棟札によると明治34(1901)年上棟で、藤岡村長のほか、大工棟梁藤原富広、藤原盛光、脇棟梁杉原政光他の名がみえる。また、太夫座付近の材には、明治34年、大正15(1926)年の歌舞伎上演時の関係者等の墨書が残されており、建立年代を裏付ける資料となる。その後、昭和62(1987)年には、屋根を主とした修復工事が行われている。舞台は、入母屋造、茅葺(鉄板覆)、平入で、四周には桟瓦葺の瓦庇が取り付く。舞台の両側面には、上手・下手太夫座(間口4.86m、奥行1.82m)が外側に張り出され、瓦庇の下に片流れの屋根が差し込まれている。建物規模は、桁行12.64m、梁間8.19m、床高0.81m。舞台正面には、大虹梁(長さ10.92m)が架けられ、両袖部に小型の格子窓が開けられている。両側面では太夫座より後方の柱間には幅3.45m、高さ2.96mのガンドウ(床面拡張装置)が装置され、背面の中央柱間には、遠見(借景機構)が設けられる。舞台の床面中央には直径5.45mの回り舞台が設置されている。回り舞台は、回転盆と心棒が接続し、心棒の付いた腕木を押して廻すコマ回し式である。また、舞台下手前にはせり上げ装置を一箇所設けている。この舞台は、全体の形態も良く整い、回り舞台が残るなど保存状態も良好で、藤岡地区では代表的な舞台である。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻441ページ