市木辻堂

 

(いちぎつじどう)

【建築】

市木町(高橋地区)の辻堂は、元浄土宗性源寺(広川町)の末で、鶴田清女が草庵を創立し、この堂を供養したという。境内にある常夜燈には文化7(1810)年の銘があり、辻堂もこの頃の建立と推定されている。辻堂は桁行3間(実長2間半)、梁間2間(実長2間)、寄棟造、茅葺の小規模な3間堂で、南東を正面にして建つ。柱はすべて面取角柱で礎石上に立ち、四周の柱間には足固貫と内法貫を廻らし、敷居・鴨居・建具は入れずに背面中央間を除いて開放する。柱上には斗栱は用いず、桁と梁を直接載せる。屋根は、内法貫を腕木として外部へ張り出し、その先端で軒桁を受け、側柱上の桁と梁に扠首を置き、屋中竹と垂木竹を縄で縛って組み上げ、茅を葺く。堂内は拭板敷きで、天井は張らずに茅葺の屋根裏を露出し、後方中央に2本の柱を立てて奥行4寸弱の内陣を設ける。内陣正面の柱間は、中敷居上に両開き格子戸を吊り、側背面の柱間に縦板壁を張る。内陣内は棹縁天井を張り、仏壇を設けて厨子を3基安置し、観音菩薩を本尊として祀る。辻堂は柱間が解放され、見通しも良いことから「四見堂」とも呼ばれ、街道を行き交う人々の休憩所ともなり、集落の人々の憩いの場としても使用されていた。市指定有形民俗文化財。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻174ページ