(いちづかこふん)
【考古】
高橋地区御立町の小高く残された上位段丘面(挙母面)の頂部に位置する5世紀中葉築造の古墳。昭和34(1959)年に南山大学が墳頂部の調査、平成24(2012)年には市教育委員会が墳裾部の範囲確認調査を行っている。直径約26m、高さ約4.6mの円墳で、葺石・周溝を有している。葺石の基底石には、長軸30cmを超える大型の円礫を横長に並べており、縦方向に確認された区画石列には他の部分よりも大きめの長軸20cm前後の石材を用い、その内部の多くは長軸10~15cmを中心とする厚みのない石材で葺かれている。緩やかなU字形に掘り込まれた周溝は、幅3.5m前後、深さ1.0m前後を測る。激しい盗掘を受けたためか埋葬施設は明確ではなかったが、石室の残欠を思わせる板石の集積が見つかっている。地元には古くから「この塚には宝剣が埋めてあり、塚をかまうと病む」との言い伝えがあったが、板石の間から出土したのは鉄製の鉾とヤリガンナであった。現在、鷲取神社(御立町)の神宝となっている鉄鉾は袋部の途中から欠損しているが、残存長43.0cmを測る大型品で、本来は50cmを超えていた可能性が高い。穂(刃)部が長くて断面が厚い形状から、およそ5世紀中葉に位置付けられる。高橋中南部地区の古墳の中では、北西0.5kmに位置する八柱社古墳に続く首長墓であったとみられる。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻318ページ、19巻672ページ、12号104ページ
→ 鉄製武器