(いつかいちば)
【古代・中世】
南北朝時代から確かめられる高橋荘内の地名。豊田市下市場町付近と推定されている。貞治3(1364)年3月3日の猿投半行社上葺勧進帳に、五日市場から1貫文を猿投社本社の上葺のために支払ったことが記されており、この頃には五日市場の住人組織が成立していたとみられる。応永22(1415)年4月29日付の棟札銘には、上葺を造立したことが伝えられており、中条祐詮を施主とし、大檀那として五日市場の浄善の名が記されている。室町時代には高橋荘内の市場としてかなり発展していた。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻318・417ページ