一色満範  ?~1409

 

(いっしきみつのり)

【古代・中世】

南北朝・室町期の武士。一色詮範の子。山名氏追討の功により、明徳3(1392)年に丹後守護に任じられ、応永8(1401)年4月に出家し、法名を道将と号した。父詮範が応永13年6月に没すると、若狭・三河守護、尾張国知多郡、海東郡を継いだ。満範は延暦寺や近江の日吉十禅師社、摂津の住吉社に経典を奉納しており、応永15年4月には熱田社に法華経・般若心経・阿弥陀経を、羽豆神社(知多郡南知多町)に法華経・般若心経・阿弥陀経を施入し、武運長久・子孫繁栄を祈願している。愛知県知多市の慈光寺の開基。応永16年1月6日没。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻365ページ