一色義範(義貫)  1400~1440

 

(いっしきよしのり(よしつら))

【古代・中世】

室町期の武士。一色満範の子。初め義範、のちに義貫と改名。丹後、若狭、三河、山城国の守護、侍所頭人を務める。尾張国知多郡、海東郡も支配した。足利義教に疎まれ、永享10(1438)年には足利持氏と関係をもっていた関東一色氏を義貫が擁護したことにより、義教との関係はさらに悪化した。永享12年5月15日、義貫は大和国で足利義教の命令をうけた武田信栄によって討たれると、一色氏の勢力は次第に衰退した。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻387ページ