伊那街道

 

(いなかいどう)

【近世】

名古屋を起点として、末森・高針(名古屋市)・岩崎・米野木(日進市)を通り、田籾から市域に入って足助に向かい、武節から信濃国根羽(長野県根羽村)で新城からくる同じ名称の伊那街道(三州街道)と合流し、同国飯田(同県飯田市)に至る道。東海道と中山道の間にある脇街道であった。伊那街道上の市域の主な村は名古屋方面から田籾-上伊保-四郷-御船-枝下-力石-中金-野口-中切-追分-足助-明川-武節-稲橋-野入の順である。多くは山間部を通る街道で、難所として石神(伊勢神)峠・杣路峠がある。現在では飯田街道といわれる国道153号がほぼ該当する。ただし、足助から明川間は足助川と菅生川を上る道筋が近世の伊那街道にあたる。中馬の通行による信濃国の産物を西三河・名古屋方面に運ぶ主要な街道であり、三河側からも奥三河や信濃へ多くの物資が運ばれた。また、御用通行、寺社参詣者の往来など公用・私用の交通も盛んな街道で、三河側からは信濃国善光寺への参詣道であった。四郷では挙母城下町から美濃国岩村(岐阜県恵那市)に至る岩村街道が交差し、野口・中切あたりで岡崎に向かう足助街道と交差した。宿場や人馬継立は、足助・明川・武節町村にあった。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻406ページ

→ 飯田街道