(いなはしぼうくうかんししょうあと)
【建築】
稲武町の夏焼城ヶ山(889.4m)の山頂には、太平洋戦争中、米軍機を監視する見張り台が、昭和17(1942)年民間によって築かれた。戦後すぐに取り壊されて、建物のコンクリート基礎のみが残った。昭和16年に防空監視隊令が制定され、愛知県は、名古屋に13か所、岡崎に9か所、豊橋に13か所の監視哨を配置した。稲橋は所属する豊橋監視隊本部の13番目の部隊で、5班に分かれた2泊3日の交代勤務、一班7人程度が双眼鏡を使った見張り、電話番、記録係を分担した。古写真によれば哨舎は、木造2階建、宝形造、桟瓦葺で、建築面積18.5m2、1階は休憩・事務室、外観を下見板張りとしている、2階は周囲にテラスを回し立哨台とし、室内を全面ガラス張りとしている。階上には西側外に付けられた階段で上がった。階段横に2m2ほどの便所、南東に炊事棟があった。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻541ページ