稲橋村村方騒動

 

(いなはしむらむらかたそうどう)

【近世】

文政元(1818)年秋から翌年3月にかけて、稲橋村持山や御林山からの木材の伐採・売却をめぐり、同村名主古橋義陳らと同村小前百姓との間で起こった村方騒動。村持山から伐採した木材の代金を全額小前らに割り渡すなど、小前方の要求がほぼ通った形の内済=示談で決着した。義陳は名主を退役し、家督を息子義教に譲っている。この騒動の影響により、義教は一時期経営の拠点を古橋家本貫の地である美濃国中津川(現岐阜県)に移すことを余儀なくされた。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻353ページ