(いなりづかこふん)
【考古】
矢作川の沖積低地を見下ろす挙母地区下林町の下位段丘面(越戸面)端部に現存する古墳。昭和51(1976)年に古墳保護のために盛土が行われる以前は、墳丘の残存径が14mほどであったとされる。平成18(2006)年の調査で延長25mに及ぶ深さ約50cmの掘り込みが確認され、この中に堆積した土層から須恵質の埴輪が多数出土した。平成20年に実施された隣接地の発掘調査でも埴輪が見つかっている。出土した円筒埴輪のほとんどは底部外面に段がある淡輪系埴輪と呼ばれる埴輪で、突帯は低い断面M字状を呈し、一次調整のタテハケののち二次調整の連続的なヨコハケが施されている。底部の段は、植物質の輪を置いた上で埴輪成形を行ったために生じたもので、市内では江古山遺跡のSZ03・SZ04や六反田古墳でも出土している。墳丘は周溝を伴う墳長30m程度の帆立貝形古墳と推定され、6世紀初頭の挙母地区の首長墳と考えられている
『新修豊田市史』関係箇所:1巻331ページ、19巻539ページ