(いねのひんしゅ)
【民俗】〈農業〉
元来、種籾は自家取りし、土地や家に伝わった品種をそれぞれ育てていた。多彩な種類が存在したであろう在来品種のことは、すでに聞き書きが困難なものとなっているが、いずれも「ノギの長い稲」であったという。確認できる年代(太平洋戦争前~戦後頃)の稲の品種(粳米)は、県の農業試験場で開発され、奨励されたものが中心となっている。おおむね山間部では寒冷に強いものが選ばれ、平野部では収量が多いものが主流であった。市域では、明治からの在来種である「千本」系統と、尾張の風土によく適合し、米質良好な「旭」系統の2つが戦後に隆盛をみている。山間部では現在、「ミネアサヒ」「チヨニシキ」といった地域の気候に適し、食味も良好な品種が優勢である。平野部ではブランド価値のある「コシヒカリ」「大地の風」などが優勢であり、いずれも商品として通用するために、食味が良好であることが優先されるようになってきている。〈農業〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻116ページ、16巻65ページ