(いぼごういん)
【古代・中世】
豊田市に現存する古代の郷印。古代の郷印は、他に筑前国御笠郡の次田郷印(天理図書館所蔵)と印影のみ伝わる国郡不明の余部郷印しかないので貴重なものである。伊保郷印は現在3種類の存在が明らかになっている。豊田市所蔵印(市指定文化財、写真)は『拾芥抄』印員部第廿二に「一寸」とある寸法と一致し、印面は方33mmで、高さは莟鈕を含め34mm、重量は58.4gである。金属成分については国立歴史民俗博物館の科学分析により、ほぼ純銅に近い成分であることが明らかになっている。印文も大和古印体の字形であり、その点からみても製作年代は遅くとも平安時代までさかのぼるものと考えられている。この印は寛政12(1800)年序文の松平定信編の『集古十種 印章追加一』(国立国会図書館所蔵)に「大坂商家寺井■所蔵」(寺井次吉郎)として紹介されたのが、一番古い伝来記録である。その後、大館高門、下邨令之助(実栗、号は哉明)の手に渡り、伊保郷印外箱の蓋裏面の墨書銘によれば、氷上神社神官久米吉彦の手に渡り、市政20周年にあたり旧制中学校の同級生である豊田市長を通じて、豊田市に寄贈されたものである。内箱や書き付けも伝来しているが、両者の記述に相違があり、書き付けを略して箱書きしたものと思われるが年紀・著者名はない。一方、保見町所蔵印は『保見町誌』によれば、古老の伝承として浅井伝七氏土蔵に託して保管されていたといい、昭和45(1970)年浅井氏から当時の区長を通じて、町公民館の金庫に保管されたものであることがわかっている。本印は『集古十種』の印影に似せたものといわれており、金属成分の科学分析でも江戸時代あるいは江戸時代以降に製作されたものと結論づけられている。莟鈕は古代印と大きく異なっている。個人蔵印は金属成分の科学分析から近世以降の制作と推測されており、かつて邨岡良弼所有印と推定されており、寸法は前述2印に比べやや小振りである。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻76ページ、21巻444・464ページ