(いまいいそいちろう)
【近代】
天保12(1841)年1月加茂郡仁王村に太田新蔵(新兵衛)の四男として誕生。明治3(1870)年に加茂郡平井村百々の名古屋藩卒今井荷六の婿養子となり、肥料商を職業とした。明治13年の愛知県会議員となり、以後、県会議員を歴任した。また、岡崎商業会議所会頭も務めている。三河分県運動は三河全体を統合して成立した額田県を尾張中心の愛知県から独立させる運動であったが、今井は早川龍介とともにその指導者であった。明治22年2月11日、大日本帝国憲法発布に伴う祝賀会である三陽大懇親会に参加し、その後三河分県が提議されると、分県についての調査委員となる。また、明治22年に設立された三河分県を掲げた興参協会の発起人も務めた。明治23年の第1回衆議院議員選挙で愛知県第9区(西加茂郡・東加茂郡・額田郡)から当選し、第2・3・4回衆議院議員選挙で連続当選を果たした。第一議会では、保守系・無所属を含む大成会に所属し、その後も中央交渉部-国民協会と政府に近い吏党に所属している。だが、明治31年の第5回衆議院議員選挙で自由党の浦野錠平に惜敗し、落選した。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻200ページ