(いまがわうじざね)
【古代・中世】
駿河・遠江・三河を領した戦国大名。今川義元の子。永禄2(1559)年家督継承。翌3年桶狭間の戦いでの義元敗死後も、賀茂郡の簗瀬家弘ら三河国衆に知行を与えるなど従えていたが、反今川国衆との戦いが続き、同郡衣領も手放した。徳川家康の台頭により永禄8年三河から撤退する。その後、遠江・駿河も家康・武田信玄に攻められ、同12年懸川退城後は北条氏を頼り守護職も同氏に譲った。晩年は京都で過ごし、慶長19(1614)年死去。享年77歳。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻570ページ