今町遺跡

 

(いまちょういせき)

【考古】

挙母地区南端の今町に位置し、矢作川と巴川・大谷川が合流する矢作川右岸の標高約28mの中位段丘面(碧海面)に所在している。平成10(1998)・12・18年度に第2東名高速道路建設に伴い県埋蔵文化財センターによって1万400m2が、平成17年には中部電力送電鉄塔建設に伴い市教育委員会により64m2が発掘調査されて、縄文時代の竪穴建物跡1基のほか、古代の竪穴建物跡97基、中世~近世の掘立柱建物跡97基などが確認されている。特に8世紀を中心とした時期の古代の竪穴建物跡は遺跡東部に集中している。鎌倉時代の遺構は、遺跡中央部に掘立柱建物跡が3基あり、東部には土壙墓25基が展開していて、居住域と墓域は分かれていたとみられる。戦国時代には溝によって区切られた屋敷内に掘立柱建物と井戸などが建てられるようになる。また、17世紀代の長軸9m以上で短軸約4mの5間×1間の倉庫と推測される大型掘立柱建物跡が並んで検出されていて、矢作川の川湊に伴う蔵屋敷的な性格の建物が建ち並ぶ光景が想定される。

『新修豊田市史』関係箇所:1巻95・366ページ、2巻46・441・660ページ、3巻262ページ、20巻106ページ