(いまちょうみやのあといせき)
【考古】
挙母地区の今町に所在する古代~近世まで断続的に続いた遺跡。矢作川や併行して流れる明治用水の右岸に面しており、すぐ北側には明治用水の水源取水口がある。平成21(2009)年度の発掘調査で、古代の集落跡と中世の井戸遺構、近世後半の石組遺構が検出されている。主な古代の遺構は、7世紀後半~8世紀初頭の竪穴建物跡15基と南北方向に60m以上延びる掘立柱列である。柱列の川側には2間四方の総柱の掘立柱建物跡が並列し、その付近でのみ柱列の並びがずれていることから出入口になっていたとみられる。また、出入口以外は塀になっていて、矢作川に面した特殊な空間が外部から遮蔽されていたと考えられる。立地状況からみると川湊であった可能性が高い。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻47・50ページ、20巻100ページ