(うえだいせき)
【考古】
足助町植田の足助川右岸の河岸段丘上に立地する中国陶磁を多量に出土した遺跡で、標高150~160mの地点に所在している。大正7(1918)年に土地所有者が耕作中に青磁皿などの遺物を発見したとされ、現在は20枚の完形の中国龍泉窯系青磁腰折皿が残されている(写真)。腰折皿はすべて高台から器体が短く張り出して内側に折れ込み、口縁端部に向けて強く外反する形状で、おおむね15世紀前半に量産された製品と考えられる。これらは文様構成と釉薬の状態から11類に分類されており、内面中央の文様に草花印文があるものと幾何学印文があるもの、無文のものがある。また、体部に3単位の牡丹唐草文があるもの、2単位の粗略な牡丹唐草文があるもの、無文のものとに分けられ、口縁部に連続する短弧文を持つものと櫛目による横線文を持つもの、無文のものに分けられる。さらに、底部外面が円形に釉剥ぎされたもの、輪状に釉剥ぎされたもの、高台端部から内側が釉剥ぎされたものとに区分される。中国産磁器がまとまって出土した事例は県下でも珍しく、出土品は平成9(1997)年に足助町指定文化財(現在は市指定)となった。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻450ページ、20巻504ページ
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