上野天王社神前役地出入

 

(うえのてんのうしゃしんぜんやくちでいり)

【近世】

文化11(1814)年、上野天王社の下役を勤めていた馬場村助右衛門は5月の節句や9月の祭礼の際に役儀を勤めず無作法な振る舞いがあったとして、神主の下村式部から役儀解き放ちと役料取り上げを申し渡された。この地域村々を巻き込んだ出入り=係争は、馬場村総出の詫び入れにより、役職・役料が助右衛門の息子に継承されることで決着をみた。内済(示談)には粟寺・上・下・国江4か村の庄屋が立ち会い連印した。

『新修豊田市史』関係箇所:8巻459ページ