(うぬまきょう)
【近代】
挙母藩士の子として江戸に生まれる。安政3(1856)年から藩儒竹村方斎に師事し、挙母への移住後、慶応3(1867)年から明治2(1869)年まで藩校崇化館で学んだ。明治7年11月、挙母学校の教員となり、併せて養成学校(愛知県師範学校の前身)の岡崎分校で「小学教科」を受講した後、同8年2月に挙母学校の訓導に任じられた。同11年4月に愛知県師範学校に入学、12年7月に挙母学校に戻り14年11月からは校長を務めた。挙母学校が挙母尋常小学校に改められてからも長く校長の職責を果たし、西加茂郡教員組合会の結成を主導するなど、地域の教育の普及・整備に尽力した。明治38年1月、入院先の東京の明治病院で死去した。59歳だった。明治13年に歴代天皇の諡号と年号・改元年月をまとめた『幼学必携』を編み、挙母村吉田桑吉の文会堂より版行している。明治16年には同じ文会堂から小学初等科の習字の教科書として『小学初等科臨本』(全3冊)を編さん・刊行した。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻14・256・397ページ