(うねめごう)
【古代・中世】
古代賀茂郡の南部と接している碧海郡に属した郷名。「うねめのさと」とも読める。現在の豊田市畝部の地名が古代の采女に通じるところから、畝部東・畝部西町を含む辺りに比定されている。平城宮から出土した木簡に「婇里」とみえ、霊亀3(717)年5月頃以前に里名として存在していたことがわかる。采女郷には式内社の糟目神社が存在した可能性がある。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻75ページ
采女郷
(うねめごう)
【古代・中世】
古代賀茂郡の南部と接している碧海郡に属した郷名。「うねめのさと」とも読める。現在の豊田市畝部の地名が古代の采女に通じるところから、畝部東・畝部西町を含む辺りに比定されている。平城宮から出土した木簡に「婇里」とみえ、霊亀3(717)年5月頃以前に里名として存在していたことがわかる。采女郷には式内社の糟目神社が存在した可能性がある。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻75ページ