(うのせんきち)
【近代】
嘉永2(1849)年宇野善一郎・まさの長男として加茂郡岩倉村平古に誕生し、名前は鉄之助であった。父、宇野善一郎(4代目専吉)は明治14(1881)年4月8日に足助街道改修のため200円を寄付しており、愛知県が銀杯を与えてその功績を特に表彰した人物であった。明治20年1月に巴川岸の平古に店を構える回漕問屋「平専(ひらせん)」の5代目当主となり、専吉を名乗った。「平専」は巴川を上下する回漕問屋であり、大量の塩を平古で荷揚げして、足助街道によって足助の塩問屋「莨屋(たばこや)」に運んでいた。「平専」から「莨屋」に運ばれた塩の量は明治16~23年の8年間で合計13万7689俵であり、年平均約1万7211俵強であった。この塩の量は当時の下伊那地方(明治12年7万6400人)と東加茂郡(明治15年2万5706人)の人口の年間必要量を上回っていたとされる。明治38年まで家業に尽力し、同年隠居して家督を長男の詮太郎に譲る。翌39年7月29日に57歳で死去した。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻136ページ