(うま)
【民俗】〈農業〉
馬は陸上交通手段として古くから重要であり、三州の街道では駄賃稼ぎの馬方が往来する姿が近世から広くみられた。近代以降、三河地方では国策によって産馬が奨励され、軍用馬匹の需要に応えるべく地元行政も後押ししたことから全国でも有数の馬産地となった。馬の売買については、バクロウ(博労)と呼ばれる業者が地域ごとに一定数いて、これが仲介をしたほか、季節開催の馬市での売り買いも盛んであった。市域では足助の馬市へ行ったという話がよく聞かれる。離れの家畜小屋を「マヤ(厩)」と呼ぶように、元来、馬は身近な家畜だったが、聞き書きの可能な年代に限ると、実際に使役馬として飼っていたという家は多くない。農耕馬はシイレ(仕込み)や扱いが難しく、戦後はほとんど牛にとって代わられた。馬車用の荷馬はやや遅くまで残っていたが、自動車輸送の普及に伴い姿を消した。一方で、祭礼の献馬用にわざわざ飼育していたという話も多い。〈農業〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻178ページ、16巻127ページ