浦野(磯右衛門)家 

 

(うらの(いそえもん)け)

【近世】

加茂郡四郷村の浦野家は、庄屋役を務めたほか、挙母藩蔵米を換金する米切手を領外の足助小出家に取り次ぐなど、地域金融の担い手でもあった。その財力を見込まれ、挙母藩用達として、挙母中町の高崎家や竹生町の杉本家とともに藩財政に深く関わり、寛政6(1794)年には苗字帯刀を許され、文化11(1814)年からは藩の俸禄を支給されている。経営面では、寛政期頃から水車稼ぎを行っており、土地証文や借金証文、水車関係の争論や猿投神社関係文書など、約300点の史料を伝える。浦野家は旧尾張藩重臣渡辺家から嫁を迎えており、その際に持参された長篠・長久手合戦図屏風は市指定文化財となり、豊田市に寄贈されている。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻200・479ページ