(うらのけきゅうぞうながしの・ながくてかっせんずびょうぶ)
【美術・工芸】
長篠合戦図屏風 縦156.1cm 横356.1cm、六曲屏風、紙本着色、長久手合戦図屏風 縦156.8cm 横356.2cm、六曲屏風、紙本着色。徳川家康の事績の中で重要な合戦のうち、天正3(1575)年、織田信長・家康連合軍が甲斐国の武田勝頼を破った戦い(長篠の戦い)と、天正12年3月から11月にかけて羽柴(豊臣)秀吉と家康・織田信雄連合軍の間で、尾張東部地域を中心に断続的に繰り返された一連の戦い(小牧・長久手の戦い)の4月9日の長久手の合戦をそれぞれ描く屏風で、一双形式で伝わるものである。市指定文化財。登場する多くの武将にはそれぞれの馬印が描かれ、また武将名を記した札が貼られ、具体的な戦の様子を説明している。両図の作者は同じで、画風から18世紀の作と推定されている。四郷町の浦野家に伝来したものである。本屏風作品と同様に、長篠合戦と長久手合戦が一双形式で伝存する例は、名古屋市の徳川美術館、犬山市の白帝文庫にある。両本ともほぼ同じ画面構成となっている、長久手合戦図に関しては、犬山城主成瀬家に伝わった白帝文庫本が、同合戦に参戦した成瀬正一、正成父子の戦いぶりを顕著に描くのに対し、豊田市本には、渡辺守綱の戦う姿(写真中央:手桶の馬印)が何度も登場するという明らかな特徴がある。このことは、本屏風の制作の契機として、渡辺半蔵守綱の武勲を強調する目的があったことを示唆する。本屏風には、成瀬家から渡辺家に養女となった姫君ゆかりの資料という伝来、渡辺家からの嫁入り道具として浦野家に入ったとされる伝来を持つ。絵画資料としては、類作と比較して絵具が良質で、細部の描写も丁寧であるという特色がある。
『新修豊田市史』関係箇所:21巻194ページ