(うらのけんろう)
【近代】
明治15(1882)年3月25日に西加茂郡四郷村で、浦野錠平の長男として誕生。明治34年に愛知県立第二中学校を卒業、同年に志願兵として歩兵第六聯隊に入隊、日露戦争にも従軍した。明治42年3月には家督を継いで酒造業を営む。猿投村村会議員などの公職にも就き、大正7(1918)年1月には猿投村村長となった。インフラ整備のほか、自ら猿投農会長となって農業改良にも取り組み、郡農会議員や県農会議員だけではなく、帝国農会評議員にも選任された。産業界にも進出し、愛知乾繭・西加茂製糸・西加茂倉庫・加茂運送などで取締役を務め、尾三自動車が設立される時には発起人となった。大正12年4月に愛知県会議員に当選、翌13年5月には政友本党から衆議院議員選挙に立候補し当選した(後に立憲政友会へ)。次の選挙には立候補せず、一期で引退。昭和16(1941)年1月に再び猿投村村長となり、戦時期に2年3か月務めた。昭和39年8月7日に死去。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻504ページ
→ 浦野錠平