浦野幸男  1914~1977

 

(うらのさちお)

【現代】

大正3(1914)年1月14日、西加茂郡猿投村(猿投地区)で出生。猿投第二尋常高等小学校、東邦商業学校を卒業。昭和10(1935)年1月応召、18年4月食糧営団西加茂支所総務主任、21年4月には食糧営団西加茂支所長となる。昭和26年愛知県議会議員に立候補し、初当選。昭和30年、34年と連続当選し、その間、県議団の副団長に就任した。また自民党豊田支部長も務めた。県議会議員として活躍後、昭和35年から51年まで衆議院議員に6回連続当選、国政に参画した。この間、昭和41年8月行政管理庁政務次官、42年2月防衛庁政務次官、47年12月衆議院商工常任委員長、49年12月自民党副幹事長を歴任した。51年9月には三木武夫内閣の労働大臣として入閣した。52年1月に急逝するまで豊田市と国とのパイプ役として活躍。市の発展のために尽くした業績は計り知れない。52年1月16日死去。享年63。翌日、勲一等瑞宝章を授与され、同年3月1日に名誉市民に推挙された。