(うらのしゅぞう)
【建築】
四郷町(猿投地区)。浦野家は、籠川の支流に接した飯田街道沿いにあり、この地方の素封家で代々幕府陣屋の御用を務め、幕末から酒造りを専業としてきた。銘柄の「菊石」は、猿投神社から丈四尺の菊花石を賜ったことに由来している。元治元(1864)年に初代浦野磯右衛門が、醸造業を創業。2代浦野錠平(猿投村村長・衆議院議員)は、清酒業としての基礎を固め、大正3(1914)年隣地の酒造場と合併し、合資会社とする。敷地面積1600m2。仕込み蔵・事務所棟・粕蔵など主に慶応3(1867)年の施設8棟を中心に16棟で構成されている。事務所蔵は、桁行20.24m、梁間8.79m(平成27年焼失)、旧仕込み蔵の一部で塗籠造、街道に面した妻入りで妻壁中央には、庇屋根のついた2連窓、その下左右に鶴と亀の鏝絵額縁(漆喰彫刻)を付けており、帳場と店頭販売所、奥を配送場としていた。仕込み蔵は、桁行19.1m、梁間7.3m、荷揚げ用輪滑車が残るなど、創建時の様相をみせている。南蔵は桁行34.3m、梁間7.6m、川に沿って一望でき、白漆喰の軒と黒の下見板張りが景観に緊張感を与え観光の名所となっている。なお、帳場に掲げる絵図(合資会社浦野醸造場)には完成時の施設の様子が詳しく書かれていて、現状と比較することができる。それによれば、配置と建物外観が現状と類似しており、規模は変わらない。但し、仕込み蔵前に旧事務所棟があり、街道西側のテニスコートに倉庫や原料蔵があったが今はない。また昭和34(1959)年9月の伊勢湾台風の際、蔵や煙突が倒壊、長屋門は曳家をして、現在の姿となった。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻518ページ
→ 浦野錠平