(うらのじょうへい)
【近代】
万延元(1860)年12月23日加茂郡四郷村に生まれる。浦野家は織田信長の家臣八草城主浦野源太郎将監の末裔とされ、清酒醸造業を営む旧家であった。上郷村長・猿投村長を歴任し、明治24(1891)年に32歳で郡会議員に当選、3期9年間務めた。また、明治25年4月に愛知県会議員に当選し、明治27年10月にも再選されている。第3回衆議院議員選挙(明治27年3月1日)では、第9区(西加茂郡・東加茂郡・額田郡)から自由党の候補者となったが、同じ自由党の福岡精一と同士討ちを展開し、今井磯一郎に敗れた。第4回衆議院議員選挙(明治27年9月1日)でも今井に敗れたが、第5回衆議院議員選挙(明治31年3月15日)では、自由党から推薦されて今井に25票差の僅差で勝利した。その後、第6回総選挙(明治31年8月10日)でも憲政党の候補者として当選し、立憲政友会の創設(明治33年9月15日)にも参加した。また、額田銀行の監査役を務める一方、明治41年の第八高等学校設立にも寄与したとされる。明治42年3月25日に50歳で死去した。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻202ページ